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回想のアーベル 9 ガウスの数学日記

アーベルの数学研究に深遠な影響を及ぼしたのはガウスですが、そのガウスはいかなる諸事情に誘われて数学研究に向かったのでしょうか。この論点はヨーロッパ近代の数学形成を考えるうえで不可避ですが、きわめて謎めいた印象を伴っています。これを言い換えると、つまり、よくわからないのです。ガウスといえども完全な無の状態から数学的創造に成功したと考えるのは無理がありそうで、何かしらガウスの思索を誘った要因があったのではないかと思われるのですが、具体的なことがわかりません。ガウスに影響を及ぼした特定の人物がいるとすれば、オイラーとラグランジュが考えられそうですが、何がどのように影響を及ぼしたのかと具体的に考えると、何もわからなくなってしまいます。
 ガウスを数学に誘ったのは具体的な人や著作や論文ではなく、数学の流れそのものだったのかもしれず、印象は茫漠としています。ここはやはりガウス本人の言い分を聞いてみたいところですが、幸いに貴重な文献が残されています。それはガウスの「数学日記」で、ヨーロッパ近代の数学史の中でも屈指の基本資料です。そこで、しばらくガウスの数学日記の概観につとめてみたいと思います。
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回想のアーベル 8 継承の姿のいろいろ

 継承もまた創造であると確信することができるようになったのは、わりと最近のことでした。継承というのは思いのほかむずかしいもので、継承の現場を目の当たりにすると、いかにも奇跡的な感じがします。消息はきわめて微妙です。フェルマの数論がオイラーに継承されるまでには100年ほどの空白期がありました。数論の諸命題を語ったフェルマの言葉に興味を抱いた人はオイラーのほかにもいたのかもしれませんが、実際に証明に成功した最初の人はオイラーでした。100年もの歳月の隔たりを思うと、オイラーの出現はいかにも奇跡的です。
 アーベルがガウスの影響を受けたのは明白ですが、どのように影響を受けたのかと考えると、やはり奇跡のような感じがあります。アーベルはガウスの著作『アリトメチカ研究』の第7章の円周等分方程式論を読み、5次方程式を代数的に解くのは不可能であろうというガウスの思想に接触しました。それまでは解けると思って解法を探索していたのですが、ガウスに触発されて方針を転換し、「不可能の証明」に到達しました。流れとしてはごく自然な成り行きのように見えるのですが、肝心のガウスの言葉というのはつまり片言隻語にすぎないのですから、そこから何事かを汲みとるのは尋常なことではありません。また、第7章の冒頭にはレムニスケート積分がぽつんと書き留められていて、この積分についても、第7章で展開されるのと同様の理論が成立するというふうなこと言われていますが、アーベルはただそれだけの弧場に誘われて楕円関数の等分理論を構築しました。まったく驚くべきことで、ここにも奇跡があります。
 奇跡といえば、アーベルの「パリの論文」などは奇跡中の奇跡というべきで、完全に一般的なアーベル積分に対して加法定理が成立するなどと、どうして想定することができたのでしょうか。手掛かりというか、ヒントになりそうなものはといえば、オイラーが楕円積分に対して発見した加法定理があるのみでした。
 ヤコビはアーベルの加法定理を知って、そこからヤコビの逆問題を取り出しましたが、実際にはどのような形で表明されたのかというと、「アーベル関数ノート」というわずか2頁の論文の(本文ではなくて)末尾に附せられたいくぶん長めの注記においてでした。いかにも目立たないところに書き留められたのですが、ゲーぺルやローゼンハイン、それにヴァイエルシュトラスやリーマンのような継承者が現れました。クロネッカーはアーベルの虚数乗法論を継承した人ですが、クロネッカーにとって決定的な示唆になったのは、アーベルがパリに向かう途次、フライベルクでクレルレに宛てて書いた手紙に記された簡単なメモでした。岡潔先生はレビに示唆を受けて、ハルトークスの連続性定理の中から「ハルトークスの逆問題」を取り出しました。ハルトークスの連続性定理があり、レビの示唆があったとはいうものの、一挙にハルトークスに立ち返ると言うのはやはりたいへんな離れ業で、奇跡です。
 こうして回想すると継承というのは実にたいへんなことで、ちょっと見ると何もないとしか思えないところから何事かが汲みとられています。だれの目にも見えることではなく、ある特定の人の目にのみ映じたのですから、やはり創造の名に値するのではないかと思います。

回想のアーベル 7 創造と継承

 アーベルの生涯と数学研究を回想して、言い添えたいことや強調したいことのあれこれを書き綴ってきましたが、おおよそのことは書き終えました。それで、ここまで書いてきてあらためて思うのは、数学は継承者が大事だということです。一例としてフェルマの数論を考えてみると、フェルマは大量の命題を発見したのですが、たいていは証明が伴っていませんでした。それらの命題に証明を与えようと試みた最初の人はオイラーで、すべてとは言わないまでも、オイラーは「直角三角形の基本定理」や「フェルマの小定理」など、いくつもの命題の証明に成功しました。この間、およそ100年ほどの歳月が流れています。諸命題を発見したのはたしかにフェルマですが、それらはオイラーが出現するまでは放置されていたのですから、フェルマの数論はオイラーを俟ってはじめて数学になりえたと言えるのではないかと思います。
 この流儀でライプニッツが発見した無限解析を考えてみると、ライプニッツの無限解析はベルヌーイ兄弟を俟ってはじめて数学になりえたと言えそうです。
オイラーにとってはラグランジュという継承者が重い意味を担っています。
ガウスはどうかというと、代数方程式論と楕円関数論の方面ではアーベルが継承者になりました。ガウスの数論はヤコビやアイゼンシュタインやディリクレやクンマーなど、有力な継承者に恵まれました。
アーベルのアーベル積分論については、ヤコビが継承者になりました。
 アーベルの虚数乗法論はクロネッカーが継承しました。
 ざっと考えただけでもこんな例が念頭に浮かびますが、こうしてみると継承もまた創造であることが深く諒解されるように思います。

回想のアーベル 6 加法定理と「パリの論文」

楕円関数論を取り上げたルジャンドルの著作の数々はオイラーの楕円関数論の再編成を主眼としていますので、新しい用語や記号を導入して体系を作ろうとしているところにおもしろみがあります。それでルジャンドル自身の数学的創意というのはあまり見られないのですが、変換理論にはルジャンドルも相当に力を入れたようで、ヤコビの独創を誘うだけの力が備わっていました。変換理論の源泉はオイラーの加法定理です。
 アーベルもまたルジャンドルの著作で楕円関数論を学びましたので、オイラーの加法定理のことは承知していました。オイラーのことは論文「楕円関数研究」でも言及されていますし、変換理論が叙述されていることは既述の通りです。この論文は楕円関数論の方面で公にされた一番はじめの作品です。
 ところが、ここにもうひとつ、アーベルの生前には日の目をみなかった「パリの論文」という大論文があります。驚嘆に値するのはそのテーマなのですが、アーベルが取り上げたのは完全に一般的な代数関数の積分、すなわち今日のアーベル積分であり、「パリの論文」ではアーベル積分の加法定理が既述されました。楕円関数の等分理論に先立って、アーベルはいきなりアーベル積分の高みに飛翔したことになります。地上から一歩ずつ階段をのぼっていくのではなく、まずはじめに頂上に身を移して世界全体を展望するという離れ業ですが、どうしてそんなことができたのでしょうか。
 アーベルの天才の発露というほかはありませんが、ルジャンドルやコーシーのようなパリの数学者たちの理解を得ることはできませんでした。ルジャンドルにしても、一瞥するくらいのことはしたのではないかと思いますが、何も印象に残らなかった模様です。後年、といっても2年ほど後のことですが、アーベルは「パリの論文」と同じテーマでもう一遍の論文を書いて、「クレルレの数学誌」に掲載しました。その脚注には「パリの論文」の存在がごくわずかに示唆されていました。ヤコビはそれを見てアーベルの数学的企図を理解し、ルジャンドルへの手紙で「パリの論文」のことを伝えました。ルジャンドルはヤコビに教えられてアーベルを理解するようになり、アーベルと手紙のやりとりが始まりました。
 ヤコビはヤコビで「パリの論文」を深く理解しました。アーベル積分の加法定理と、楕円関数の逆関数に着目するというアイデアの結合。そこから生まれたのがヤコビの逆問題です。ヤコビがいなかったなら生れることはなかったのですから、この問題はヤコビの創造であり、決してたまたま見つけたというようなものではありません。

回想のアーベル 5 アーベルに寄せるヤコビの友情

 代数方程式論と楕円関数論の双方において、アーベルにもっとも深い影響を及ぼしたのはガウスでした。代数方程式論ではラグランジュの影響ということがしばしば語られますが、ガウスの影響の深遠さの前にはかすんでしまいます。楕円関数論でもガウスの影響はめざましく、アーベルの論文「楕円関数研究」の根幹を作るのはガウスのアイデアです。もっともガウスの示唆は実際にはほんの数語にすぎませんし、アーベルの楕円関数論がガウスの影響下にあるというのはあくまでも象徴的な意味合いしかないようでもあります。アーベルの創意はやはり著しく、ガウスの片言を読みとって論文「楕円関数研究」を書き上げたのは、あまりにも異様な天才のなせるわざとしかいいようがありません。回想するたびに感慨に襲われます。
 アーベルの「楕円関数研究」のテーマは等分理論で、まさしくそこにガウスの深い影響が認められるのですが、等分理論の背景には変換理論が広がっています。楕円関数の変換理論はヤコビの出発点で、ヤコビはそれをルジャンドルの著作を通じて承知していました。ヤコビは等分理論には関心はなかったようで、論文や著作を見ても等分理論への言及は見られません。アーベルのほうはガウスの示唆を受けて等分理論から楕円関数論の世界に入っていったのですが、ルジャンドルの著作にももとより通じていましたから、変換理論も知っていて、等分理論を包み込む風呂敷のような感じで当初から究明していました。そこでアーベルは、ヤコビの論文を見て、ヤコビが提示した諸命題にたちどころに独自の証明を与えることができたのでした。アーベルとヤコビは変換理論の場において出会い、互いに他を認識しました。
 アーベルとヤコビの優先権争いということがしばしば話題になりますが、そのような面はたしかに見られるというものの、競争というのは必ずしもあたらないように思います。その理由はヤコビの態度にあります。ヤコビはアーベルの論文を見てたちまち真価を洞察し、アーベルをライバルと見るよりもむしろアーベルの最良の理解者であろうとしたように思われます。ヤコビはアーベルを尊敬し、アーベルの没後はアーベルの遺した研究の真意を解明しようと努めました。ヤコビの逆問題はそこから生まれたのですが、このような消息を通じてぼくらの目にうありありと映じるのは、実際には会うことのなかった異国のアーベルに寄せるヤコビの友情の姿です。

回想のアーベル 4 アーベルの時代の楕円関数論

 アーベルが最初に論文を書いた時期にガウスを読んでいたのかどうか、それはわかりませんが、オイラー、ラグランジュ、ガウスと、みな代数方程式論に関心を寄せていたことですし、この時期に数学を学んだ人はだれしも自然に5次方程式を解きたくなったのかもしれません。ルフィニなどもそのひとりでしたし、ヤコビもまたそうでした。こうしてみると、アーベルの時代に数学を学ぶ者の前にはごくしぜんに「5次方程式を解く」という問題が現れたと言えそうです。カルダノ、フェラリ、タルタリアのようなイタリアの代数学者たちが3次と4次の代数方程式の解法を発見したのは16世紀のことですが、それ以来、数学に心を寄せる人たちの関心事であり続けていたのでしょう。
 これに対し楕円関数論のほうはどうかといいますと、この理論の創始者として挙げなければならないのはオイラーです。もっとも萌芽ということであれば、無限解析のはじまりとともにすでに芽生えていたとも言えそうです。ただ、初期の無限解析の次に位置を占める新しい理論として自覚したのは、まちがいなくオイラーでした。
 オイラーと同時期にファニャノ、その次にランデン、その次にラグランジュ。この4人を語れば、アーベルとヤコビ以前の楕円関数論のすべてを語ったことになりそうですが、全体として「オイラーの世界」と見てさしつかえありません。この世界の集大成を試みて、大きな書物を書いたのがルジャンドルでした。ルジャンドル自身には格別の創意があったようには見えませんが、記号体系を整えて「オイラーの世界」を整備したのは、それはそれで大きな業績でした。実際のところ、アーベルもヤコビもルジャンドルの著作を通じて楕円関数論を学びました。

回想のアーベル 3 代数方程式論への関心

 上記のような次第ですので、楕円関数論とアーベル関数論の形成史の概観を踏まえて全体を展望すると、かなめ石の位置を占めるのは明らかにアーベルです。アーベルの人生と数学研究についてはこれまでに何度も語ってきましたが、今度は全史の叙述を念頭に置きながら、あらためてアーベルの事績を回想してみたいと思います。
 あまり繰り返しばかりになっても困りますので、アーベルの生涯と数学研究を概観して特に印象に残ったことや、重複を厭わずに強調しておきたいことを点描するだけにとどめます。アーベルの数学研究というと代数方程式論と楕円関数論がよく知られていますが、これにアーベル関数論を加えて三幅対にするのが適切です。そのほかに一般に二項定理や無限級数の収束に関することなど、実解析に所属する研究もありますが、このあたりにはコーシーの『解析教程』の影響が見られます。
 アーベルははじめ代数方程式の解法に関心を寄せ、5次方程式を解こうと試みました。成功したと思い、論文を書いたのですが、1821年のころのことで、アーベルはまだカテドラルスクールに在学中でした。師でもあり友人でもあるホルンボエにも、クリスチャニア大学のハンステン先生にも正否の判断がつきませんでしたので、デンマークのデゲン先生に見てもらったところ、デゲン先生はまちがっていると明言することはなかったのですが、正しいとも言わず、もう少し考えてほしいというふうな態度を示しました。たぶんデゲン先生は疑わしいと思ったのではないかと思いますが、このときデゲン先生は、5次方程式よりももっと重要なテーマに取り組むべきであるという主旨のアドバイスをアーベルに伝えました。そのテーマというのは楕円関数論で、これがアーベルと楕円関数論との出会いです。デゲンはハンステン先生宛の手紙の中でそのように書いたのですが、その手紙の日付は1821年5月21日です。アーベルは1802年8月5日ですから、楕円関数論に出会ったときは、満年齢でいうとまだ18歳にすぎませんでした。
 アーベルの一番はじめの数学的関心は代数方程式論で、5次方程式を解くことだったのですが、このテーマはこの時期の数学者の間で大きな関心事だったのかどうか、考えてみるのは必要なこともしれないと思います。具体的に考えてみますと、オイラーは関心を寄せていて、現に3次と4次の代数方程式の解法を試みて成功しています。アーベルはホルンボエといっしょにオイラーを読んだということですから、オイラーの代数方程式研究を知っていた可能性があります。また、ラグランジュの論文「省察」は代数方程式論の古典中の古典ですし、アーベルの時代に数学を学ぶということであれば、オイラーとラグランジュは学ぶべき大きな柱でした。アーベルがラグランジュの論文「省察」を読んだのは当然考えられることですし、そこにはオイラーの解法も紹介されていました。
 オイラーには『代数学への完全な入門』という著作があります前半と後半の二部構成で、前半のテーマは定解析、後半は不定解析ですが、前半の定解析と言うのはつまり代数方程式の解法理論のことで、3次と4次の代数方程式の解法が記されています。ヨーロッパ社会で広く読まれた書物ということですし、アーベルも手にしたことは充分に想定されるところです。
 ガウスの学位論文のテーマは「代数学の基本定理」の証明ですが、が椅子はそこで高次代数方程式の代数的解法に言及し、そんなことはとうてい不可能だというふうな口吻を書き留めました。はたして10代後半のアーベルにそれを見る機会があったのかどうか、そこまではわかりませんが、アーベルがガウスの著作『アリトメチカ研究』を読んだのは少し後のことになりますから、学位論文についても、見たとしても後年になってからではないかと思われます。

回想のアーベル 2 ヤコビの逆問題が解けるまで

 これまでに書き綴ってきたことと重複するのですが、もともと何を叙述しようとしていたのかというとリーマンのことで、特にアーベル関数論について深く論じたいと念願していました。一変数の複素解析の基礎の構築も重要な業績ですが、これはアーベル関数論の土台ですので、合せて語るのがよいと思います。リーマンのアーベル関数論はヤコビの逆問題の解決の軌跡であるとは既述の通りですが、この問題の解決の試みというところに着目すると、リーマンと並んでヴァイエルシュトラスの名を挙げなければなりません。
 リーマンとヴァイエルシュトラスはヤコビの逆問題を完全に一般的な形に設定して解決を試みたのですが、はじめから一般的な形だったわけではなく、ヤコビが提示した当初の形はこの問題の端緒を開くという趣のもので、「ヤコビの逆問題の原型」というのが相応しいと思います。その原型のヤコビの逆問題をそのままの形で解決した人が二人います。ひとりはローゼンハイン、もうひとりはゲーぺルという人で、ほとんど同時期に、お互いに知らないままの状態でそれぞれ解決に成功しました。ヴァイエルシュトラスはこの二人の手になる原型のヤコビの逆問題の解決に手掛かりを求め、ここから出発して一般化に向かう道筋を模索したと思われますが、リーマンには、少なくとも公表された論文を見る限りそのような痕跡は認められません。ローゼンハインとゲーぺルが達成したことの中味をリーマンが知らなかったとは思われませんが、リーマンにはリーマンに独自のアイデアがあったのでしょう。
 こんなわけですので、ヤコビの逆問題の系譜たどるには、ヤコビが提示した原型のヤコビの逆問題を叙述し、ローゼンハインとゲーぺルを語り、そのうえでさらにヴァイエルシュトラスとリーマンに及ぶというふうにすればよさそうです。これはこれでなかなか骨の折れる作業です。
 上記の叙述に成功すれば、それはヤコビの逆問題の提示と解決の物語になることになりますが、楕円関数論とアーベル関数論の全容を概観するという視点に立つとこれだけでは不十分で、ヤコビの逆問題の形成過程を加えなければなりません。根幹に位置するのはアーベルの「パリの論文」です。ヤコビは「パリの論文」の実物を見ることはできなかったのですが、アーベルのもうひとつの論文を見て「パリの論文」の存在を知りました。本質はアーベル積分の加法定理にあるのですが、ヤコビはそのあたりの消息を正確に洞察してヤコビの逆問題の提示にいたりました。この領域においてヤコビはアーベルの継承者であり、しかも唯一の継承者です。
 それで話はアーベルに立ち返るのですが、アーベルの楕円関数研究や「パリの論文」に影響を与えたのは何だったのかと考えてみると、楕円関数論にはガウスの影響が色濃く認められ、「パリの論文」はオイラーに始まる楕円関数論のひとつの到達点を示しています。アーベルの数学研究の根源にはオイラーとガウスがいて、しかも楕円関数論の場においてオイラーとガウスは性質を異にする二つの源泉を与えています。したがって二つの源泉の姿形を解明し、それらがどのようにアーベルに影響を及ぼしたのかということを考察していく順序になりますが、その様相を描き出すことができれば、楕円関数論史が成立します。

回想のアーベル 1 アーベルからヤコビへ

 倉田先生の連載稿「多変数複素関数論を学ぶ」をひとまず読み終えましたので、次のテーマに移りたいと思いますが、どの方向に進むのがよいのか、実は少々迷いました。中途半端なところで中断したテーマがいくつかありますが、ひとつは「リーマンを語る」、もうひとつは「ディリクレの「ヤコビの思い出」」、それにもうひとつ、これは数学ではありませんが、「中勘助ノート」です。「ディリクレの「ヤコビの思い出」」は「リーマンを語る」から派生したテーマですが、どうしてそんなことになったのかといえば、リーマンを語りながらヤコビを語る場面に直面したためで、ヤコビを語ろうとすると楕円関数論から始めることになります。そうするとヤコビとルジャンドルの往復書簡を概観するという順序になりますし、いくつかの手紙を読んだところでディリクレの回想記へと移ったのでした。
 リーマンを語りつつある中でどうしてヤコビが登場したのかというと、「ヤコビの逆問題」について語ろうとしたためでした。リーマンが創造した諸理論の中でもアーベル関数論に焦点をあてたいと思ったのですが、リーマンのアーベル関数論というのはつまりヤコビが提示した「ヤコビの逆問題」の解決の軌跡です。それでこの問題の来歴を回想したいと思ったのですが、そうするとアーベルのことから語り始めなければなりません。というのは、この問題を提示したのはヤコビですが、ヤコビに示唆を与えたのはアーベルだからです。
 「リーマンを語る」の中でヤコビの前にアーベルについてもだいぶ詳しく言及しましたが、アーベルこそ、「ヤコビの逆問題」の真実の泉なのですから当然といえば当然です。アーベルの数学研究はわずかに3年ほどにすぎなかったのですが、アーベルの値打ちを洞察し、19世紀の数学が歩むべき道を開いたところに、ヤコビの真価が認められるように思います。アーベルとヤコビは楕円関数論の研究で優先権を争うかのような状況に置かれた一時期がありましたが、この二人の数学研究の関係は見直す余地がありそうです。

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オイラー研究所の所長です

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