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オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (17) クザーヌスの思想と関数概念

 「オイラーの方程式」に関して注意事項がひとつ。ある関数が変分問題の解であるためには、「オイラーの方程式を満たすこと」は必要条件ではありますが、必ずしも十分条件ではありません。今日の微積分でも関数y=f(x)の極値問題がよく取り上げられますが、この関数がx=aにおいて極値を取るための必要条件はその導関数がx=aにおいて値0をもつこと、すなわち等式f’(a)=0が成立することですが、これは必ずしも十分条件ではないことは周知の通りです。条件f’(a)=0が満たされるとしても、関数f(x)は必ずしもx=aにおいて極値をもちませんし、極値をもつとしても、それは極大値なのか極小値なのか、これだけでは判定できません。これを判断するには2階導関数の値f’’(a)の符号を調べなければならないのですが、変分問題にも同様の事情が発生します。変分問題の場合にも関数の極値問題におけるf’’(a)に相当するものが存在し、「オイラーの方程式」を満たす関数がはたして本当に解を与えているのかどうかを判定するには、「第二変分」と呼ばれるものを考慮しなければなりません。
 この方面の考察に踏み込んでいくと、さらに複雑な状況に遭遇することがあります。関数y=f(x)の極値問題の場合にも、2階導関数の値f’’(a)が0になる場合には判定が頓挫しますので、もう一歩先の3階導関数の値f’’’(a)を考慮しなければならず、これもまた0になるのであればさらにその先に進んでいくというふうになります。極値問題に決着をつけるのはなかなかむずかしいことで、変分問題でも「第二変分」を考えるだけではまだ足りません。これ以上は話が細かくなりますのでこのあたりでやめておきますが、最短降下線の問題のような場合でしたら、観念的に考えてそのような曲線が存在するのはまちがいないように思いますし、必要条件として実際に現われたのはサイクロイドだけなのですから、これをもってサイクロイドが最短降下線であると判定してさしつかえないと思います。
 それともうひとつ、曲線と関数の関係についてですが、変分計算をテーマにしたオイラーの著作『極大または極小の性質をもつ曲線を見つける方法。あるいは、もっとも広い意味合いで諒解された等周問題の解法』が刊行されたのは1744年。関数概念がはじめて公に表明されたのは1748年の著作『無限解析序説』においてでした。この間に4年ほどの時間差がありますが、このあたりはオイラーの無限解析の対象が「曲線」から「関数」へと変容しつつある過渡期であり、実に興味の深い一時期です。
 1744年の変分計算の著作では、オイラーが無限小変化させているのはあくまでも曲線であり、この時点ではまだ関数ではありません。ではありますが、実際の計算の姿を観察すると、関数が無限小変化を受け入れているように見えます。オイラーのアイデアをもう少し詳しく再現すると、平面上に曲線を描き、それから一本の無限直線を引きます。その直線を軸と呼び、軸上に点Aを任意に指定して、それを始点と呼びます。曲線上の点Mから軸に向けて垂線を降ろし、その垂線の足をPとして、始点AからPまでの距離をxで表します。軸には向きがつけられていますから、xは足Pの位置に応じて正にも負にもなります。二点M、Pを結ぶ線分の長さをyで表します。平面は軸により二分されていますから、点Mの位置に応じてyもまた正にも負にもなります。こんなふうにして曲線上の点Mに対応して二つの数値x、yが定まりますが、点Mが曲線上を動いていく情景を念頭に思い浮かべると、xとyは変化量と見ることができます。この場合、当然のことながらxとyは無関係ではありえず、ある一定の関係で結ばれています。その関係というのはつまり曲線を表す方程式f(x,y)=0のことにほかなりませんし、そのうえyはxの関数のように見えるのではないかと思います。
 はじめから曲線の方程式f(x,y)=0から出発することにするならば、xとyの関係は非常に明瞭で、オイラーの1744年の著作に即して観察すると、特にyがxの一価関数として認識される場合が表面に出ています。一価関数という用語は後年の産物ですから今は避けることにしても、オイラーの『序説』の意味においてyがxの関数、すなわち解析的な式である場合、言い換えるとxと定量を用いて何らかの仕方で組み立てられた式になる場合を念頭に置き、その式の形を変化させることをもって、曲線の変化ということを諒解するという方針が立てられているように見えないこともありません。
 オイラーはあくまでも「曲線を変化させる」ということを言いますし、実際に最短降下線の問題のような場合には、観念的に考える限り、それで十分なのですが、実際に計算を遂行する場面になると「曲線の変化」ということの意味合いは不明瞭になりがちです。最短降下線の場合でもすでに考えにくいのですが、いわんや一般の変分問題の世界に踏み出していこうとすると、「曲線を変化させる」というアイデアに固執するのは得策とは言えません。微分計算を遂行して「オイラーの方程式」を導こうとする計算は難解で、曲線の理解のために構築されたライプニッツとベルヌーイの無限解析では力が足りません。そのため、この路線を歩み通そうとする決意が堅固である限り、無限解析の力を強化する方策を講じなければなりません。実際のところ、1744年の著作では、看板に掲げられた理念としては「曲線を変化させる」ということになってはいるものの、実際にはライプニッツとベルヌーイ兄弟を越える微分計算を駆使して計算を進めています。微分計算が変容を迫られる契機がここにあります。
 それに、「オイラーの方程式」を書き下すことができたなら、引き続きその微分方程式を解いて解を求めなければなりませんが、曲線の理解のための無限解析ではここでもまた力不足です。「オイラーの方程式」のようなむずかしい微分方程式を解くには、「曲線の理解とは無関係に微分方程式を解く」という強い信念に裏打ちされた強力な無限解析が要請されます。この場面において変容が迫られるのは積分計算です。オイラーの60代の著作『積分計算教程』は全三巻にわたって微分方程式の解法理論で埋め尽くされていて実に壮観ですが、積分計算が微分方程式論になったのは十分に理由のあることで、オイラーの苦心の産物です。
 変分問題の守備範囲は非常に広く、オイラーの目には当初から未開拓の曠野が映じていたのではないかと思いますが、視点を変えて曲線ではなく「関数を変化させる」ことを出発点に定めることにより新たな道が開かれるというのが、オイラーのアイデアだったのではないかと思います。曲線の理解のための無限解析の姿が大きく変容し、「変化量を対象として抽象的に組み立てられた微分と積分の計算」という、まったく新しい無限解析が繰り広げられていく可能性がこうして開かれていきます。曲線から関数が抽出されようとする瞬間を目の当たりにまざまざと見ることができるような、見る者の心情を大きく揺する情景です。
 ここまで書いてきて、変分問題を機として曲線の世界からいかにして関数概念が抽出されたのかという消息にようやくたどりつきました。ここから先に考察を進めていくためにはオイラーの1744年の著作を解明しなければなりませんので、このあたりでひと休みということにしたいと思いますが、最後にくれぐれも強調しておきたいことがあります。
 オイラーは変化するものが曲線そのものである場合にも、曲線もしくは関数の極値問題における方程式dy=0に相当する必要条件が存在することを確信していましたが、この確信には論理的な根拠があるわけではありません。理解しようとしているのはもう曲線ではなく、曲線そのものが変化量の位置を占めて変形するのですが、その際、変分問題の解となりうる曲線はある特定の性質をもつことが想定されています。一般に変分問題は曲線に依存する積分値を設定し、その積分値に極値を与える曲線を決定することが要請されますが、そのような曲線は、「その曲線の無限小変分を施しても積分値は変動しない」という性質を備えています。出発点は、そのようになるはずだという確信そのものであり、論理的な根拠に基づいているのではないのですが、強固な確信に支えられて歩みを進めると本当に「オイラーの方程式」が発見され、最短降下線の問題も解決されました。強調したいのはここのところです。曲線を「無限小の辺が連なって生成される無限多角形」と見るというクザーヌスに由来する観念が、ここには依然として継承されています。
 オイラーの変分計算のはじまりを告げる1744年の著作『極大または極小の性質をもつ曲線を見つける方法。あるいは、もっとも広い意味合いで諒解された等周問題の解法』の邦訳の出現を期待しつつ、この短期連載を終えたいと思います。

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オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (16) 変分計算と関数

 ライプニッツとベルヌーイ兄弟が構築した「曲線の理論」から「曲線」という言葉を削除し、その代りに「関数」という概念を導入して描写を重ねていくと、微分方程式の解法理論が浮かび上がります。それがオイラーの無限解析の実体であることは、ここまでのところで重複を厭わずに繰り返し語ってきた通りです。
 微分方程式にもいろいろな種類があります。登場する変化量が2個なら常微分方程式、もっと多くなれば偏微分方程式。登場する微分の階数が高くなれば高階微分方程式、階数が高くて、しかも変化量の個数が3個以上であれば高階偏微分方程式、等々と、解の探索もだんだん困難になっていきます。連立微分方程式系というものも考えられます。それと、「関数」の概念が拡大していくと、それにつれて微分方程式の様相も複雑になっていきますし、解として認識される方程式が表しているものの実体もまた多彩です。常微分方程式に限定して解を求めたとして、その解はともかく2個の変化量の間に成立する方程式ではありますから「曲線」の名に値する何ものかですが、関数概念の守備範囲を広く取ると、そこには従来知られていた曲線のすべてが包摂されます。そこで視点を逆転し、常微分方程式の解として出現する方程式が表す図形を指して、あらためて「曲線」と名づけることにすれば、これで曲線の概念が規定されます。オイラーはこのように曲線を理解することを提案した数学者です。
 考察する微分方程式に含まれる変化量の個数が3個なら、解として得られる方程式が表す図形は「曲面」です。変化量の個数がさらに増えれば、出現する図形はもう曲線や曲面のような視覚的認識をこえてしまいますが、図形の認識という観点に立てば実に広々とした世界が眼前に広がることになり、しかもその世界には果てがありません。
 オイラーのように「関数」をキーワードにして無限解析を展開するという立場を打ち出すと、無限解析の世界から図形的観念が一掃されて、その実体は微分計算、積分計算と呼ばれる計算のシステムそのものにほかなりません。それ自身としては無意味な抽象的システムを構築し、曲線や曲面のような具象の世界を遠隔操作するという「近代」の特質が、ここに鮮やかに現われています。オイラーは何かしら特別のわけがあってそうしたのであろうと思いますが、ではそのわけというのはいかなるものだったのかといえば、それは変分計算の中にある、と答えたいと思います。
 ヨハン・ベルヌーイが提案した最短降下線の問題に立ち返ると、空間のある位置Pに質点が配置されているとして、重力の作用を受けて点Pから出発し、Pを通る鉛直面内に描かれたある曲線に沿って、もうひとつの点Qに到達するまでの時間が最短になるようにするには、どのような曲線を描けばよいのだろうかというのが最短降下線の問題です。二点P、Qを結ぶ曲線Cを描き、それを、オイラーのアイデアを採用して関数y=f(x)のグラフとして認識することにします。点Pを座標の原点に取り、点Qの座標を(y,x)=(b,a)(水平方向にyを取り、垂直方向にxを取ります)とし、エネルギー保存則に基づいて計算を進めると、質点が曲線Cに沿って降下して点Qに到達するまでの時間は、

   (1/√(2g))∫√(1+p^2)/(2gx) dx
  (p=dy/dx。積分はx=0からx=aまで遂行。gは重力に起因する加速度を表します。)

という積分で表されます。この積分は曲線Cに依存しますが、曲線は関数のグラフとみられているのですから、関数y=f(x)に依存すると言っても同じことになります。そこで、定量1/√(2g)は無視することにして3個の変化量x、y、pの関数
    F(x,y,p)=√(1+p^2)/(2gx)
を設定し、この関数のx=0からx=aまでの積分を書き、さてそのうえでyをさまざまに変動させて、積分の値に最小値を与えるような関数yを決定しようと試みることになります。これが変分問題です。曲線の極値問題と同じ性質の問題ですが、曲線の場合には変化するのは変化量xだったのに対し、今度は変化するのは関数そのものですから、曲線の形状を理解する問題の場合のような幾何学的知覚はもう意味をもちません。ここにいたって極値問題というものの本性に向けて、深刻な反省を強いられる場面に直面します。
 曲線に接線を引く問題であれば、曲線の方程式f(x,y)を微分してAdx+Bdy=0という形の微分方程式を作ります。曲線の極大点と極小点の位置を定める問題なら、接線を定める方程式Adx+Bdy=0においてdy=0と置いて生じる方程式、すなわち方程式Adx=0、すなわち方程式A=0を解くことになります。どうしてそんなふうになるのかといえば、曲線を「無限小の辺をもつ無限多角形」と見るという、クザーヌスに淵源する思想が受け入れられているからで、極大点もしくは極小点においては、その点を含む無限小辺はx軸と平行になります。ということはつまりy軸方向への変位がないということで、これを数式で表すとdy=0という方程式になります。
 変化量が変化する代りに、曲線そのもの、言い換えると関数そのものが変化する場合には、極値問題をどのように理解したらよいのでしょうか。オイラーは、曲線の理解の場合に認識された方程式dy=0に相当するものが、変分問題の場合にも存在するという確信をもっていたようで、その探索を試みて成功しました。それは

   (d/dx)(∂F/∂p)-∂F/∂y=0

という微分方程式で、「オイラーの方程式」と呼ばれています。あるいは、オイラーを継承して変分問題を大きく進展させることに寄与したラグランジュの名を合わせて「オイラーーラグランジュの方程式」と呼ばれることもあります。
 曲線の理解の場合には、極点を含む無限小辺が平坦になる、すなわちx軸と平行になるということは、変化量xの無限小変分に対応する変化量yの無限小変分が存在しないということにほかなりませんが、これと同じ状勢を変分問題にあてはめると、関数yの無限小変分に対応する積分値の無限小変分が存在しないというふうに言えそうです。ここにもまた相互に依存しながら変化する二つの「変化するもの」があります。ひとつは関数そのものであり、対応して変化するもうひとつの変化量は積分値です。関数は変化量ではありませんが、「変化する何ものか」ではあります。積分値のほうは従来の変化量と見てよさそうです。
 関数が変化すると積分値も変化する。関数の無限小変分というのは考えにくいのですが、曲線でしたら「ほんの少しずらしてみる」というような、「曲線の無限小変分」というものが容易に考えられます。それなら、曲線を定める関数についてもまた「関数の無限小変分」が考えられるのではないかと思ってもさしつかえないのではないかと思われるところです。もっともこれは観念的に考えるとそんなこともあるのではないかということにすぎず、図形的な直観はもう働きません。しかもこのアイデアを数学の世界で実際に遂行するには、曲線を離れた無限解析を十分に広く展開して、「関数の無限小変分に対応する積分値の無限小変分」を計算する手だてを確立しておかなければなりません。そうしてそのうえでなお一歩を進め、「関数の無限小変分に対応する無限小変分は存在しない」ことを表す方程式を書き下さなければなりません。まるで水に描く絵のような心もとない作業ですが、オイラーはこの道筋の存在を確信し、実際に道を開いて「オイラーの方程式」を発見しました。まったく驚くべきことで、これこそが真実の「数学の創造」です。これに匹敵しうるのは、若い日に高次冪剰余相互法則の存在を確信したガウスくらいのものではないかと思います。
 最短降下線の問題にもどると、関数F(x,y,p)に対しては、
  ∂F/∂p=(1/√x)(1/2)(2p/√(1+p^2)), ∂F/∂y=0
となりますから、「オイラーの方程式」(d/dx)(∂F/∂p)-∂F/∂y=0は、
  p/(√x√(1+p^2))=定量(=1/√(2a)と置きます)
となります。これをpに関して解くと、
   p=√(x/(2a-x))
となります。そこで変数を分離すると
   dy=√(x/(2a-x)) dx
となりますから、両辺の積分を作れば、
   y=∫√(x/(2a-x))+C (Cは定量)
となります。ここで、初期条件「x=0のときy=0」よりC=0となることがわかります。以下、少々計算を進めると、共通のパラメータθを用いて、
   x=a(1-cosθ), y=a(θ-sinθ)
という表示が得られます。これによって判明するように、この曲線は、半径aの円を直線上に配置して転がしていくとき、最初の接点が描く図形、すなわちサイクロイドにほかなりません。これで、最短降下線はサイクロイドであることがわかりました。かつてヨハン・ベルヌーイが提出した問題を、オイラーは半世紀の後に独自の斬新な方法で解決したことになります。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (15) オイラーの三部作 その2

 オイラーの三部作を構成する第三番目の作品は積分計算のテキストです。全三巻。1768年から1770年にかけて刊行されました。

(3)『積分計算教程』(全三巻)
   巻1 1768年[E342]
   巻2 1769年[E366]
   巻3 1770年[E385]

 オイラーの生年は1707年ですから、オイラーが60代のときの作品です。巻1の冒頭で「微分式の積分」の概念が導入されるのですが、これについては前に紹介した通りです。微分式というのはXdxという形の式のことで、ここに現れるxとXは何かというと、xは変化量、Xはxの関数です。関数の概念は『序説』の書き出しの部分において導入されていますので、「Xはxの関数」という言い方が許されます。前もって関数概念を規定しておくと、ひとつの変化量xを元手にしていろいろな変化量y=Xを次々と作り出すシステムが構築され、そのグラフを描くことにより、多種多様な曲線を一望のもとに概観する視点が確保されます。関数概念を広く取れば取るほど、曲線と呼ばれる図形の世界もまた大きく広がっていきます。
 どうも同じ話の繰り返しばかりになってしまうのですが、論点を整理するためにもう一度「微分式Xdxの積分」の概念を回想すると、それはつまり等式dy=Xdxが成立するような変化量yのことでした。そこで基本的な問題として、微分式Xdxの積分は本当に存在するのか、存在したりしなかったりするのであれば、どのような場合に存在し、どのような場合に存在しないのであろうか、という問題が発生します。観念的に考えると、Xdxの積分yというのはつまり無限小量に分解するとXdxが出現するという属性を備えた変化量なのですから、逆に無限小量Xdxを寄せ集めれば生成される道理です。
 ではありますが、これは観念というか、無限解析の根幹を作るアイデアを述べただけのことで、無限小量への分解とか、無限小量の寄せ集めなどという観念に言葉が与えられているわけではありませんので、積分の存在条件を述べたり、積分可能条件をのべたりすることはできません。オイラーにしてもそのような論理的体系を構築したわけではなく、いわば観念の風呂敷を大きく広げたうえで、微分計算と積分計算の具体的な姿を積み重ねていきました。関数Xとしていろいろなものを提出し、微分式Xdxの積分を見つけ出すという作業を繰り返すのですが、微積分の風呂敷の中味はそのたびに豊富になります。曖昧といえば曖昧のようでもあり、論理的な厳密さが欠如していると言われればそんな気もしないこともないのですが、言葉で表明されてはいないものの、根底にあるアイデアは明確に諒解されているのですから、曖昧という批判はオイラーにはあてはまりません。
 ともあれこんなふうにして従来の曲線の理論とは無関係な場所で微分と積分の観念が把握されましたが、そのうえでオイラーは積分計算の名のもとで微分方程式の解法理論を構築しました。全三巻の『積分計算教程』はさまざまなタイプの微分方程式の解法の紹介で尽くされています。ライプニッツとベルヌーイ兄弟の曲線の理論では、曲線の方程式f(x,y)=0に対して微分計算を適用することにより曲線の諸性質が導き出されました。それらはみな曲線の局所的な性質ですが、この導出の過程から曲線という言葉を抜いて、計算のプロセスだけを抽出すると、オイラーの微分計算のシステムが手に入ります。逆に、曲線の局所的な諸性質が指定されたとき、それらの性質を備えた曲線を見つけようとするのも曲線の理論であり、ライプニッツとベルヌーイ兄弟はこれを積分計算と呼んでいました。その積分の理論から曲線という言葉を抜いて、計算のプロセスだけを抽出して得られるのがオイラーの積分計算のシステムです。
 ライプニッツとベルヌーイ兄弟の曲線の理論から曲線を抜くとオイラーの無限解析になるのですが、その場合、捨てられた曲線に代るものが要請されます。それが関数の概念です。
 無限解析もしくは無限小解析もしくは微積分のテキストの系譜を見ると、一番先に出現したのはロピタルの著作ですが、実際に出版されたのは微分計算をテーマとする第一部のみで、積分計算がテーマになるはずの第二部はついに日の目を見ませんでした。そのためロピタルの著作は解析概論としては不完全でした。基礎と微分と積分のすべてを揃えたテキストとしては、真っ先にオイラーの三部作を挙げなければなりません。
 というわけで、オイラーの無限解析はもう「曲線の理論」ではなく、その実体は何かと問われたならば、微分方程式の理論と答えるのがもっとも適切です。オイラーのいう微分方程式というのはいくつかの変化量x、y、z・・・とそれらの微分dx、dy、dz・・・を用いて組み立てられた等式
 f(x,y,z・・・dx,dy,dz・・・)=0
のことで、この微分方程式の解というのは、dx、dy、dz・・・を含まない方程式
  F(x,y,z・・・)=0
であって、しかも微分して得られる方程式dF=0が,提示された微分方程式f=0と同等になるという性質を備えているもののことです。
 一例として、微分方程式
  f(x,y,dx,dy)=xdx+ydy=0
を挙げると、この微分方程式の解は
  F(x,y)=x^2+y^2-C=0 (Cは定量)
という形の方程式になります。微分方程式は微分を含む方程式であり、その解は微分を含まない方程式です。関数を微分し、関数を積分する今日の微積分の立場では、微分方程式とは導関数を含む方程式であり、その解というのは、提示された微分方程式を満たす関数のことと諒解されます。ここがオイラーの無限解析と異なるところです。オイラーの無限解析では、微分方程式の解はあくまでも方程式であることに、くれぐれも留意しておきたいと思います。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (14)  オイラーの三部作 その1

 オイラーには有名な三部作があり、オイラーの無限解析の根底を作っています。オイラーの三部作についてはこれまでにも何度か言及したことがありましたが、重要な作品群ですのでここに再現しておきます。

(1)『無限解析序説』(全二巻)1748年。[E101]と[E102]
大雑把に言うと、巻1では関数の理論、巻2では曲線の理論が取り上げられています。この作品はなにしろ「序説」というくらいですから、ここに描かれているのは無限解析全体の土台です。その土台というのがつまり「関数」の理論であるというところが際立っています。ライプニッツとベルヌーイ兄弟には見られなかったことですので。
 それなら曲線の理論はどうなったのかというと、オイラーにとっては曲線の理論もまた序説の一部分であり、巻2に叙述されています。関数の理論が先で曲線の理論が後になっているのですが、これは何を意味しているのかというと、「曲線というものを関数のグラフとして認識する」という立場が打ち出されたということにほかなりません。オイラーの無限解析の斬新さがここに現われているのですが、ここでじっくりと考えなければならないのは、オイラーはどうしてそんなふうにしたのか、という論点です。
 曲線を関数のグラフと見るという見方は今日では普通に行われていることで、微積分の入門書にもそのように書かれていますので、あたりまえのことのように感じられないでもないのですが、これはオイラーが提案した流儀です。数学では、何となく生まれるとか、いつのまにかこうなった、ということはありえず、どんな概念にもどんな定理にも「一番はじめ」が存在します。関数概念のはじまりはオイラーにさかのぼり、オイラーは「曲線を関数のグラフとして把握する」というアイデアを具体化するために、関数概念の表明から出発しなければならなかったのでした。
 オイラーはよく「計算は達者だが思想がない」とか、「基礎よりも結果を重視した」とか、「厳密性への関心が薄かった」などと言われることがありますが、実際の姿は全然違います。オイラーは数学の基礎というか、数学はどのような姿でなければならないのかということを深く思索することのできた人で、今ここで当面している事柄についても、曲線というものをどのように理解したらよいのかと思索して、関数概念を土台にするというアイデアを提案しました。
 『無限解析序説』の巻1の冒頭で、「関数とは変化量と定量を用いて組み立てられた解析的な式のことをいう」という、有名な定義が語られています。『序説』が刊行されたのは1748年ですが、それから今日にいたるまで、曲線を関数のグラフと見るというオイラーのアイデアは依然として生き続けています。あまりにも大きな影響を及ぼしたアイデアですので、だれのアイデアということも語られなくなってしまい、さもあたりまえのように受け止められているのですが、オイラーのアイデアであったことは決して忘れられません。
 曲線とは「無限小の辺がつながっている無限多角形」であるという従来の諒解様式では、提示されているのは曲線というものをそのように見るという見方であり、曲線とは何かという根本的な認識が確定しているわけではありません。曲線というのはいくつもの具体例を通して形成される具体的なイメージであり、それらを諒解する共通観念としてクザーヌスの思想が援用されたのですが、個々の曲線を個別に究明するという立場からすればそれで十分でもありました。オイラーはその共通観念を破り、曲線の概念を一般的に定義しようとしたのですが、何かしらよほどの理由があったのであろうと推測されるところです。その理由は実は変分計算にあるというのが、これから語ろうとしている事柄です。

(2)『微分計算教程』(全一巻)1755年。[E212]
 変分法と関数概念の関係を語る前にオイラーの三部作の概観を続けたいと思います。数学に関数概念をはじめて導入したオイラーではありますが、そのオイラーの無限解析の対象は依然として変化量であり、この点はライプニッツとベルヌーイ兄弟の時代と同じです。今日の微積分では微分と積分の対象は関数であり、関数を微分し、関数を積分するのですが、この流儀はラグランジュとコーシーにはじまります。ここにもまた淵源が存在します。
 淵源なのにどうしてラグランジュとコーシーの二人の名前を挙げたのかというと、「関数を対象とする微分と積分」というアイデアを一番はじめに実行したのはラグランジュなのですが、ラグランジュの次の世代のコーシーはラグランジュのやり方に不満があったようで、大幅な改訂を施しました。今日の微積分に直接つながるのはラグランジュではなくコーシーですが、アイデアそのものはラグランジュに由来しますので、どうしても二人の名前を挙げなければならないのです。
 閑話休題。オイラーは変化量xを元手にして他の変化量yを作ります。その作り方というのはつまりxの関数を作るのですが、このように話を進めるためには、それに先立って関数の概念を確定しておかなければならない道理です。関数概念を広く取れば取るほど、生成される変化量もまたその分だけ多様になります。オイラーは全部で三種類の関数概念を提案しましたが、一番はじめの関数は「解析的な式」というものでした。解析的な式というもの、それ自体の定義がないというので、オイラーには厳密さの観念がとぼしいなどと批判されることがあるのですが、オイラーはこの批判には痛痒を感じないと思います。というのは、関数概念という大きな網を広げてオイラーが一挙に包み込もうとしたのは、眼前に点在するあれこれの具体的な変化量だったからで、それらをことごとくみな「xの解析的式」として把握できる程度にまで、解析的式の範疇を広げておくことにすればよいからです。枠を決めておかないほうがかえって融通がきいたと考えていたのではないかと思います。
 そこで変化量yは変化量xの関数として、yの微分dyを計算する方法を教えるのが微分計算で、その結果はdy=Xdxという形になります。ここで、Xもまたxの関数です。今日の微積分の目で見ると、Xはyの導関数のように見えますし、そう思ってもまちがいというわけではないのですが、それはコーシー以降に定着した解釈です。オイラーはあくまでも「変化量の微分」を計算しているのであり、「関数の導関数」を計算しているのではありません。同じように見えても根本に横たわる思想の姿が異なるのですから、軽々に同一視することはできません。
 オイラーはこんなふうに微分計算の世界を設定し、さてそのうえでいろいろな形の変化量yを提示して、その微分dyの算出法を個別に書き並べていきます。ライプニッツとベルヌーイ兄弟は曲線の方程式f(x,y)=0を直接微分して曲線の諸性質を理解しようとしましたが、オイラーの微分計算は曲線とは無関係に遂行されます。ひとつの変化量xを元手にして他の変化量を自在に作り出すことを許す関数というアイデアを提案し、関数の微分(導関数ではありません)を計算するシステムを構築するのですが、それ自体としてはただそれだけのことで、特定の意味が付与されているわけではありません。
 ところが関数のグラフとして曲線が描かれると、曲線の形状の研究の場において微分計算が特殊な意味合いを帯びてきます。曲線とは無関係な場所で構築した計算のシステムを援用して、曲線の世界を遠隔的に理解しようとするところに、オイラーの無限解析のアイデアの真意があります。では、オイラーはなぜこのようなアイデアを持ち出さなければならなかったのでしょうか。ライプニッツとベルヌーイ兄弟が構築した無限解析に、何か不満があったのでしょうか。オイラーの無限解析を考えていくうえで、ここが最後の論点です。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (13) 力学と変分計算

 一般に「曲線を理解する」というときに念頭に浮かぶのは「曲線の形を知りたい」ということを指すのではないかと思いますが、それに比べると最短降下線の問題と等周問題は相当に異質です。それでもこれはこれで曲線の理論の一角を占めているのはまちがいのないことで、現に最短降下線についてはヨハン・ベルヌーイ以前にすでにガリレオの考察がありましたし、等周問題は古代ギリシアの時代から関心がもたれていたのでした。オイラーはこの二問題のみを土台にして、その上に変分計算の理論体系を構築したのですが、ではオイラーはどうして変分計算に関心を寄せたのでしょうか。
 この問い掛けに対して正しく答えるのはなかなかむずかしいのですが、ライプニッツの二論文が出てベルヌーイ兄弟がこれを咀嚼した時点において、曲線の理論は飽和状態になったというか、マンネリになったというか、ルーティンワークになったというか、人々の間で急速に興味が失われていったということは言えるかもしれません。デカルトは「デカルトの葉」を提案しましたし、フェルマは「フェルマの螺旋」を考察しました。ヨハン・ベルヌーイが研究した曲線は非常に多く、主立ったものを挙げるだけでも、レムニスケート曲線、トラクトリックス(追跡線)、カテナリー(懸垂曲線)などが思い浮かびます。カテナリーをはじめて取り上げたのは実はホイヘンスなのですが、そのホイヘンスはサイクロイドの等時性を発見したことで知られています。ヨハンの兄のヤコブ・ベルヌーイは対数螺旋の属性を愛し、墓石に刻まれたほどです(ただし、刻む作業を担当した人に知識がなかったためか、実際にはアルキメデスの螺旋が刻まれてしまいました)。このような例は非常に多く、新たな曲線を発見してその性質を究明することに、大きな関心が寄せられた時期がたしかに存在し、その熱気の中から無限解析が生まれたのでした。
 ところが無限解析のような万能の方法がひとたび発見されてしまうと、あれほど熱気を帯びた関心も急速に失われます。フェルマはサイクロイドに接線を引こうとして斬新なアイデアを提案しましたが、ライプニッツとベルヌーイ兄弟の接線法を用いれば、決まりきった計算を遂行するだけのことです。何の苦労もありませんが、その代わり感激もありません。理論の完成は到達点を示すとともに、ある種の退屈さを誘います。ライプニッツとベルヌーイ兄弟の後も、新たな曲線の研究を続ける人たちもいたことはいたようですが、無限解析の手法に依拠する以上、だれがやっても同じことですから、技術的に見て少しばかりむずかしいところがあるという程度のことにすぎず、何というか、練習問題を解くみたいな感じになります。
 ところがオイラーは違います。オイラーのように数学そのものを思索する資質(数学の詩人の資質です)に恵まれた人物は、先人の敷いた道を無意味に延長するようなことはせず、道のないところに道を開く可能性を洞察することができるのではないかと思います。といっても、火のないところに煙を立てるようなことをしたわけではなく、最短降下線の問題と等周問題という、曲線の理論の枠内に孤立して配置されているように見える問題に着目しました。どうしてそんなところに目を向けたのか、それ自体にすでに謎めいた印象があるのですが、ひとつにはニュートン力学への関心がありました。オイラーは若い日にすでに『メカニカ(力学)』(前2巻。[E15]と[E16])という作品があります。刊行年は1736年ですから、このときオイラーは29歳です。
 『メカニカ』の4年前には、
 「曲面上の任意の二点を結ぶ最短線」([E9])
という変分計算の論文を書いています。これはオイラーが書いた一番はじめの変分計算の論文です。公表されたのは1732年ですから、オイラーは25歳。数学の師匠のヨハン・ベルヌーイに提示された問題に答えようとした論文です。それから1738年にも、変分計算の論文
「一番広い意味で諒解された等周問題の一般的解法」([E27])
が出ています。1738年というのは公表された年ですが、執筆されたのはもっと早く、1732年10月27日にペテルブルクの科学アカデミーに提出されたということです。それなら変分計算の第一論文[E9]と同年ですし、非常に早い時期から変分計算に関心を寄せていたことがわかります。
 オイラーはこんなふうにして力学と変分計算の研究を続け、1744年には『極大または極小の性質をもつ曲線を見つける方法。あるいは、もっとも広い意味合いで諒解された等周問題の解法』([E65])という著作を出しました。今日の変分法はこの作品をもって土台が定まったのですが、さてここで解明の目標になるのは力学と変分計算との関係です。
 オイラーはニュートンの力学の解明に力を注ぎましたが、その手法というか、解明の基本方針はどのようなものであったかというと、ライプニッツとベルヌーイ兄弟から伝授された「曲線の理論のための無限解析」を武器にして、流率法と呼ばれる独自の解析学で記述されたニュートンの力学を理解しようとすることでした。そのオイラーが同時に変分計算の構築を企図したのですが、歴史を回想すると、オイラーの変分計算はラグランジュに継承され、そのラグランジュは変分原理を基礎にして解析力学を建設したことで知られています。
 これを要するに変分計算は力学の根底を作るということにほかならず、ラグランジュにいたってこの事実が明るみに出されたということになるのですが、そこでどのような問題が発生するのかというと、もしかしたらオイラーは当初から力学と変分計算の関係を洞察していたのではないだろうかという仮説です。結果としてはラグランジュの登場を待ってそのようになったのですが、オイラーの若い日といえば、ヨーロッパ大陸にはニュートンの力学のようなものすごい力学は存在しませんでしたし、変分計算にいたっては最短降下線の問題と等周問題が見られるだけでした。たったこれだけの数学的状況から出発して、はたしてラグランジュが開いた地点を見通すことができたのでしょうか。
 ガウスの数論の事例もありますし、常人の及ばないことのできる人は確かにいるのですし、歴史的経緯を率直に見れば、「オイラーははじめから到達地点を見通していた」「そのようになるだろうという予感をもって力学と変分計算の究明に取り組んだ」と判断してよいのではないかと思います。この間の消息を精密に観察するのは歴史研究の大テーマですが、ここではそれはひとまず措くことにして、ここにもうひとつ、解明しなければならない課題があります。力学といい、変分計算といい、究明の道を押し進めていくためにオイラーの手にあったのは無限解析です。しかも力学や変分計算のような新たな課題の究明の場において力を発揮するには、ライプニッツとベルヌーイ兄弟の段階での無限解析では力が足らず、無限解析そのものを大きく作り直して、新たな課題の要請に応えることができるようにしなければなりませんでした。無限解析の相貌が一変することになる契機がここにあります。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (12)  変分計算―もうひとつの曲線論

 ライプニッツが発見した微分計算と積分計算の基本原理は、曲線を理解するための究極の手法を与えるもので、デカルトやフェルマの時代からこのかた一世紀ほどの思索の系譜の到達点が示されています。曲線の方程式f(x,y)=0を書き下すとき、f(x,y)とは何かというところに大きな論点が伏在していることはすでに述べた通りですが、その前にそもそもxとyとは何だろうかという問題もあります。ここまでのところでしばしば「変化量」という言葉を用い、xやyのことを変化量と呼んできましたが、これはこれで力学的な感じのする言葉です。
 オイラーははっきりと変化量という言葉を前面に打ち出しましたが、ヨハン・ベルヌーイの講義録やロピタルの著作でもやはり変化量という言葉が使われています。ですが、ライプニッツはそうではなく、ライプニッツの無限解析の段階ではxやyは別に変化するわけではありません。それならライプニッツにとってxやyは何だったのかといえば、それ自体としては何の意味もないただの文字としか言いようがありません。曲線の理解ということでしたらそれで十分で、別段、変化する必要はないのですが、そこに「変化する量」という力学的なイメージを誘う観念が付与されるようになったのは、無限解析の力を借りて力学を理解しようとする強い意志が働いていたためであろうと思います。
 ここで力学というのは主としてニュートンの力学のことを指しているのですが、必ずしもそればかりではなく、オイラーの師匠のヨハン・ベルヌーイにも力学的問題がありました。それは「最短降下線」の問題です。
 最短降下線を求めようとする問題は確かに力学の問題のひとつです。今、空間のある位置Pに質点が配置されているとして、重力の作用を受けて点Pから出発し、Pを通る鉛直面内に描かれたある曲線に沿って、もうひとつの点Qに到達するまでの時間が最短になるようにするには、どのような曲線を描けばよいでしょうか。これが最短降下線の問題です。
 最短降下線のことをBrachistchrone(ブラキストクローネ)と呼ぶこともあります。これはギリシア語のようで、「ブラキスト」は「もっとも短い」という意味、「クローネ」は「時間」という意味の言葉とのことです。このように命名したのはヨハン・ベルヌーイです。
 最短降下線の問題を一番はじめに考察したのはだれなのでしょうか。すべての原典を見たわけではありませんが、ガリレオの『新科学対話(Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuove scienze)』にも出ています。この著作が刊行されたのは1638年で、最短降下線は円弧であるというのがガリレオの主張です。ガリレオの次にこの問題を取り上げたのはヨハン・ベルヌーイです。ヨハンはガリレオの主張を知ってこの問題に興味をもったのだろうと思いますが、調査が足りなくて、正確な歴史的経緯は不明です。
 よく知られている事柄を再現しておくと、ヨハンは1696年6月の「学術報告(Acta eruditorum)」誌においてこの問題を提起しました。1696年というと、ロピタルの著作が刊行された年でもあります。ヨハンはすでに正解を知っていて、そのうえでヨーロッパ各地の数学者に対して挑戦状を提出したような感じになったのですが、ヨハンの兄のヤコブ、ライプニッツ、ロピタル、それにイギリスのニュートンがこの挑戦に応じました。どの人の解も正解で、答はサイクロイドです。ニュートンは匿名で解答を寄せたのですが、ヨハンはその解答を見てすぐにニュートンと見抜き、「ライオンは爪を見ただけでライオンとわかる」というような言葉をつぶやいたという、伝説めいたエピソードが残されています。翌1697年、ヨハンは「学術報告」誌上に各人の正解を発表しましたが、ロピタルの解だけは除外されました。
 最短降下線の問題は力学の問題ではありますが、無限解析を育んだ「曲線の理論」の範疇に所属する問題でもあります。本当はヨハン、ヤコブ、ライプニッツ、ロピタル、それにニュートンを加えて5人の解答をひとつひとつ点検したいのですが、むずかしい作業で、いまだに遂行できません。ですが、ヨハンがこの問題を提起した1696年という年を思いますと、やはり感慨があります。ライプニッツの第一論文が公表されたのが1684年、第二論文の公表は1686年。それから10年ほどの間に無限解析は長足の進歩を遂げ、最短降下線の問題を取り上げて、ガリレオの誤りを正すまでになりました。実に急速な進展ですが、これはつまりライプニッツの基本思想が堅固な基盤を提供してくれたおかげであろうと思います。
 最短降下線の問題は今日では変分法の起源とみなされていますが、変分法にはもうひとつの起源があります。それは「等周問題」と呼ばれる問題です、。一定の長さの線分の端と端をつないで平面上に閉曲線を作るとき、囲まれる面積が最大になるようにするにはどのような形にすればよいだろうかというふうに表明されます。答は「円」であろうと容易に想像されますし、古代のギリシア時代から知られていた有名な問題です。歴史が長いだけに貢献した人も多く、ヨハンの兄のヤコブ、オイラー、ラグランジュの寄与もしばしば話題になります。等周問題もまた曲線の理論の範疇に所属します。
 今日のいわゆる変分法は最短下降線の問題と等周問題という、「曲線の理論」における二問題を源泉として発足しました。オイラーはこれを継承し、非常に組織的に変分法の究明に取り組みました。1744年のオイラーの著作

『極大または極小の性質をもつ曲線を見つける方法。あるいは、もっとも広い意味合いで諒解された等周問題の解法』

は変分法の誕生を告げる作品で、ヨーロッパ近代の数学史の中でも屈指の傑作です。
 今日の普通の用語法に沿って「変分法」という言葉を使いましたが、当初は「変分計算」という言葉が使われました。微分法や積分法ではなく、微分計算、積分計算という言葉が使われたのと同様です。変分計算という言葉をはじめて提案したのもオイラーです。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (11)  微分積分学の基本定理について

 オイラーの用語法によると、積分という概念は微分式を対象にして定まるもので、「微分式の積分」はあっても「関数の積分」というのはオイラーには存在しません。オイラーは数学に関数概念を導入した一番はじめの人なのですが、それにもかかわらずオイラーのいう積分は決して「関数の積分」ではありません。このあたりの消息を明確に諒解するのはなかなかむずかしい作業です。
 微分式というのはXdxという形の式のことです。ここでxは変化量ですから、正確には「xの微分式」というところです。大文字のXは何かというと、これは「xの関数」です。オイラーは積分を語るのに先立って関数概念を導入していますから、関数Xを指定して微分式Xdxを考えることができます。関数Xを一般的な様式で設定すればするほど、微分式の形も一般性の度合いが高まっていきます。
 そこで微分式ω=Xdxが指定されたとして、その積分とは何かというと、 その微分がωになるような変化量、すなわち、等式
   dy=Xdx
が成立するような変化量yのことで、オイラーはこれを
   y=∫Xdx
という記号で表しました。
 微分式ω=Xdxはそれ自体としては無限小量ですが、その積分という名で呼ばれる変化量yは、もし存在するとするなら、微分式ωを寄せ集めることにより生成されます。というのは、変化量yを無限小に分割すると微分式ωが生じるというのが、yに課された唯一の条件なのですから、逆にωを寄せ集めていけばyが復元される道理です。積分を微分すると微分が生じ、微分を寄せ集めると積分が生じるということですから、どことなく「微分積分学の基本定理」のような感じがしますが、ここで語っているのは積分の概念規定なのであり、定理を表明しようとしているのではありません。微分と積分の関係を考えるうえで、ここにも重要なポイントがあります。
 変化量yが与えられたとき、その微分と呼ばれる無限小量dyを計算する方法を教えてくれるのが微分計算。逆に、微分式ω=Xdxが与えられたとき、それを生成する変化量y、すなわち「微分するとωになる変化量y」を求める方法を教えてくれるのが積分計算です。微分計算と積分計算はそもそものはじめから互いに他の逆演算として認識されています。今日の微積分のテキストの叙述はそうではなく、微分は微分、積分は積分で別々の道を歩んだ後に、さてそれから、実は両者は互いに他の逆演算であるということが明らかにされるという順序に話が進んでいきます。この場合、最後に明らかにされる事柄が「微積分の基本定理」です。
 このように微積分を組み立てる流儀はコーシーに始まります。微積分の基本定理はコーシーをまってはじめて「定理」になり、証明されるべき事実になりました。別の言葉で強調すると、コーシー以前には「微積分の基本定理」は存在しませんでした。コーシーは微積分の理論体系を従来にはない道筋に沿って構築したのですが、コーシーにはコーシーの理由があってそうしたのであり、コーシー以前の状況とは関係がありません。
 微積分の形成史は数学史には欠かせないテーマですが、中心に位置するのはつねに「微積分の基本定理」で、微分のはじまりは接線法、積分のはじまりは求積法と指摘して話が始まります。観念的に考えると接線法と求積法の間には互いに何の関係もありませんが、それにもかかわらず実は関係があるのだと、この話は展開します。求積法は実は接線法の逆演算であるという事実を指摘して、この事実の認識の表明をもって「微積分の基本定理」の発見と認定するのですが、この話はコーシーが構築した理論体系とそっくりです。コーシーにはたしかに「微積分の基本定理」があり、証明さえ行われたのですが、この数学的状況を過去に投影すると、微分法には接線法が対応し、積分法には求積法が対応します。そこで接線法と求積法の関係が語られている箇所を探索し、それをもって「微積分の基本定理」の誕生と見るという叙述様式が成立したのではないかと思います。この通説は、何と言うか、俗説の一種ではないかと思います。
 事実は全然違い、微分と積分はそもそものはじめから対をなして認識されました。
 オイラーの積分概念にもどりますと、微分式ω=Xdxの積分yは、観念的に考える限りωを寄せ集めれば生成されるのですが、その寄せ集めは必ずしもつねに可能とは限りません。存在するか否かは関数Xの性質に依存します。オイラーはここにむずかし論点があることを認識していたと思いますが、なにしろ関数というものの認識もまだ途上だったのですから、コーシーがそうしたように一般的な視点から語るということはしていません。微分計算の一覧表を作っておけば、それを一瞥するだけで積分が見つかることがありますし、それだけでも相当の分量の積分が算出されます。たとえば、X=x^nなら、Xdxの積分は
  y=(1/(n+1))x^(n+1)+C(ここでCは定量です)
です。どうしてそんなことがわかるかというと、あらかじめ微分計算を遂行することにより、d(x^n)=nx^(n-1)dxという等式を知っているからです。同様に、d(sin x)=-cos xdxですから、
   ∫cos xdx=-sin x+C(Cは定量)
となります。また。d(log x)=dx/xですから、
   ∫dx/x=log x+C(Cは定量)
となります。一覧表に出ていない積分を求めるには、部分積分と変数変換の手法を組み合わせると、可能性が広がります。
 こんなふうに積分の計算ができる場合を集めると、相当の多くの種類の曲線に対し、曲線で囲まれる領域の面積を求めたり、曲線の弧長を算出したりすることができるようになります。曲線が具体的に与えられた場合を考えてみると、たいていの曲線は代数曲線ですし、超越曲線としても種類が限られていますから、きれいに概形を描くことができます。その場合、曲線で囲まれる領域が有界であれば、その面積が存在することを疑う余地はありません。有界でない領域についても面積が確定する場合があり、少々不思議な感じがすることもありますが、面積が確定しない場合というのはつまり無限大になってしまう場合ということですから、想像を絶するような事態ではありません。曲線の弧長でしたら、すべての場合について問題なく確定しそうです。というわけで、「曲線を知る」という当初の目的は、無限解析の誕生に伴って完全に達成されたと言えるのではないかと思います。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容(10) 微分計算と積分計算

 曲線について何事かを知るというのは、具体的にはどのようなことを意味しているのでしょうか。知りたいことの中味は人それぞれという事もあるかもしれませんが、みなの共通の関心事になったこともたしかにありました。接線を引くこととか、極大点と極小点の位置を知ることなどは代表的な事例ですが、ほかにも変曲点の位置や曲率を知ることなどが念頭に浮かびます。これを要するに曲線の形状を知りたいということですから、その目的にかなうのであれば、あれこれのことにおのずと視線が向かいます。この場合、近代の曲線論の特徴は曲線を表示する方程式から出発するところに認められることは忘れられません。これはデカルトに由来すると見られているアイデアです。
 ライプニッツの微分計算のアイデアは、方程式で表示された曲線に自在に接線を引くことと、極大点と極小点の位置を特定することを可能にし、この究明の終着点を示しました。
 微分計算についてはおおよそこれでよいとして、それなら積分計算というのはどのようなものだったのでしょうか。ライプニッツの1686年の第二論文のタイトルを見ても中味を思い浮かべることはできませんが、曲線論の観点に立つ限り、ライプニッツのいう積分計算は微分計算のねらいと逆向きの道の構築をめざしています。与えられた曲線に接線を引きたいのであれば、微分計算により遂行することができます。
 逆に、ある曲線について、そのうえのあらゆる点における接線の情報が判明しているとして、曲線の全体像を復元することを可能にしてくれるのが積分計算です。接線の情報ばかりではなく、一般に微分計算を通じて知ることのできる曲線の諸性質が前もって指定されたとして、それらの諸性質を許容する曲線そのものを知りたいという要請に応えてくれるのが積分計算であると言うことができます。もっと具体的に言えば、dxやdyの混じった数式で記述されるいくつかの性質が指定されたとき、積分計算は、曲線そのものの方程式f(x,y)=0、xとyの間に成立する方程式であって、しかもそれに対して微分計算を適用すると、あらかじめ指定された諸性質が導出されるような方程式を見つける道筋を教えてくれます。
 こんなふうにいうと積分計算というのはまるで微分方程式の解き方みたいな感じがしますが、それは今日の微積分を知っているからそんなふうに見えるのであり、ライプニッツの時代の無限解析の関心事はどこまでも「曲線そのもの」から離れませんでした。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (9) 曲線の極大点と極小点

 接線法と微分計算の方法についてはおおよそ前回述べた通りのことで尽くされていますが、あまり一足飛びに話を進めても仕方がありませんので、言葉の説明を少々補っておきたいと思います。
 超越的な式f(x,y)のすべてに対して等式
f(a+dx,b+dy)=f(a,b)+Adx+Bdy+{dxとdyの作る次数2以上の多項式}=0
が成立するというわけではありませんが、正弦、余弦、正接、それに指数と対数のような既知の超越量を素材として代数的に組み立てられているのでしたら、この展開は遂行可能です。そのためには前もって正弦、余弦、正接、指数、対数の各々について展開式を作っておけばよいのですが、これは個別に工夫することにより実現されます。
 上記の展開式において、定数A、Bはそれぞれ微分dx、dyの係数ですが、前回、それらを「x、yに関する偏微分係数の点Pにおける値」と呼んだのは、ついつい先走って今日の微積分の視点から見たときの呼称を使ってしまったのです。ともあれこの二つの定数A、Bの数値が決定されさえすれば、それで接線を引くことができるというのが、ライプニッツの基本思想でした。では、さまざまな個別の場合について、具体的にどのように計算すればよいのかという手法を蓄積していくと、ライプニッツの思想が具体化し、数学の理論らしい形が現われていくことになります。ロピタルの著作やヨハン・ベルヌーイの講義録には、ライプニッツの二論文に充満しているような形而上学風の雰囲気は一掃され、今日の微積分とはだいぶ異なった印象を受けるとはいうものの、普通の数学というか、読めばわかりそうな感じになっています。少なくともエニグマ(巨大な謎)ではありません。
 接線法のほかに、ライプニッツの基本思想は曲線の極大極小問題の解決の道も指し示しています。方程式f(x,y)=0で表示される曲線の極大点もしくは極小点というのは、いかなる点なのでしょうか。曲線を無限小辺無限多角形と見るという立場に立てば、極大点もしくは極小点というのは、「その点を通る無限小の辺」がx軸と平行になる点」のことにほかなりません。もっともこれには鞍点(あんてん)という例外もあります。三次曲線y=x^3における原点がそのような点の一例です。
 極大点あるいは極小点あるいは鞍点をこのように把握すると、それらの点はつまり「その点においてdy=0となる点」のことであることがわかります。
 x軸方向に出っ張っている点、すなわちx軸方向の極大点と極小点についても同様で、その場合にはdy=0に代ってdx=0という方程式を考えることになります。

オイラーの無限解析 関数概念の発生と無限解析の変容 (8)  接線法と微分計算

 クザーヌスの宗教的思索についてはこれ以上のことを語ることができませんので、そのあたりに無限解析もしくは微積分の源泉があるらしいということを示唆するだけに留めておいて、接線法の実際の姿を観察したいと思います。といっても、たとえばデカルトはどのようにしてサイクロイドに接線を引いたのか、まだ実情を知りませんし、わからないことはいろいろあります。
 わかりそうなところに光を当てて考えることにして、一例として方程式
   x^2+y^2=a^2 (a>0)
を書いてみると、これは半径aの円の方程式です。この円の上の一点P=(u,v)を取り、この点において円に接線を引くことを考えてみます。円を「無限小の辺をもつ無限多角形」と見ているのですから、点Pを通る無限小の辺が存在します。その無限小辺の上の点Qは、dxとdyは無限小量として、Q=(u+dx,v+dy)という形になります。この点Qが同じ円の上にあるのですから、等式
  (u+dx)^2+(v+dy)^2=a^2
が成立します。これを通常の代数の計算規則にしたがって展開すると
  u^2+v^2+2udx+2vdy+(dx)^2+(dy)^2=a^2
となります。ここで、u^2+v^2=a^2。位数2の無限小部分(dx)^2+(dy)^2を削除すると、等式
   udx+vdy=0
が残ります。これがすなわち「点Pを通る円の無限小辺」の方程式にほかなりません。これは無限小の長さの線分ですが、無限に延長していくと接線が描かれます。その方程式は、
  u(x-u)+v(y-v)=0
すなわち
  ux+vy=u^2+v^2=a^2
です。これで、点Pにおける円の接線の方程式ux+vy=a^2が求められました。この接線法のポイントは二つあります。ひとつは、円を無限小辺をもつ無限多角形と見ること。もうひとつは、位数2の無限小を削除することです。
 もう少し一般に曲線f(x,y)=0が与えられたとして、この曲線上の点P=(a,b)において接線を引くことを考えてみたいと思います。円の場合と同様に考えて、まず等式
   f(a+dx,b+dy)=0
を書きます。ここから先が分れていくのですが、f(x,y)が多項式なら、f(a+dx,b+dy)を二項定理で展開すると、
 f(a+dx,b+dy)=f(a,b)+Adx+Bdy+{dxとdyの作る次数2以上の多項式}=0
という形の等式が得られます。AとBはある定まった数値です。ここでf(a,b)=0であることに留意して、さらに{dxとdyの作る次数2以上の多項式}を削除すると、等式
  Adx+Bdy=0
が残ります。これが、点Pを通る曲線の無限小辺の方程式です。これを延長すると、
  A(x-a)+B(y-b)=0, すなわち Ax+By=aA+bB
という接線の方程式が生成されます。
 f(x,y)が多項式の場合、すなわち曲線が代数的な場合にはこれでよいのですが、曲線が超越的な場合には二項定理で展開するというわけにはいきませんから、上記のようにはいきません。そこで微分計算の出番になるのですが、f(x,y)が多項式ではなくても、微分計算の支援を受けると、やはり
 f(a+dx,b+dy)=f(a,b)+Adx+Bdy+{dxとdyの作る次数2以上の多項式}=0
という形の等式が得られます。ただし、代数的な場合とちがい、{dxとdyの作る次数2以上の多項式}の部分が実は「無限に多くの項をもつ多項式」、すなわち無限級数になります。そのため、今日の微積分では収束の問題などを細かく論じたりするのですが、その前にf(x,y)が何であってもこのような展開がつねに可能とは限らないのではないかという疑問もあります。そんなことを詰めていくと理論体系はだんだん精密になっていきますが、接線法のアイデアは上記の展開式を書き下すことに尽きています。
 定数A、Bはそれぞれf(x,y)のx、yに関する偏微分係数の点Pにおける値です。

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プロフィール

オイラー研究所の所長です

Author:オイラー研究所の所長です
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西暦2011年は岡潔先生の生誕110年の節目の年です。
西暦2013年は岡潔先生のエッセイ集『春宵十話』が刊行されてから50年目の節目です。

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