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リーマンを語る 271. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その73

 ルジャンドルの言葉は「モジュラー方程式」に及びます。

〈これらの二定理を用いて、私は、実量を用いて表示されたモジュールの「はしご」の存在に関する事柄のすべて、したがって、与えられた任意の第一種楕円関数が受け入れる、際限なく倍加されていく実変換に関する事柄のすべてを、完全な仕方で取り扱うことができた。〉

 「実の変換」という言葉が出てきますが、ここのところに脚註がついていて、「実」とは何かという説明がなされています。それによると、わざわざ「実」と断ったのはなぜかといえば、解析的に見れば「虚の変換」が存在するからというのです。ルジャンドルは「虚の変換」については語らない方針を立てたようですが、「虚の変換」は「実の変換」よりもはるかに多く存在します。ルジャンドルはそれをよく承知しているにもかかわらず、語ろうとしませんでした。このあたりの配慮というか、何ものかを意識して慎重な姿勢を見せる点はアーベルやヤコビと大きく異なるところです。
 アーベルやヤコビはまったく逆で、虚変換というか、楕円関数論に積極的に虚数を導入しています。彼らにしてみれば、そうしなければ理解できない現象があまりにも多いからそうしたまでで、虚数などを使ったらだれにどう思われるかなどというためらいはまったくありません。こういうところはガウスもそうでしたし、オイラーもそうでした。ライプニッツもベルヌーイ兄弟もそうでした。
 
〈この性質をもつ二つの関数の一方が他方を用いて表示されるとき、それらの関数は同一の「はしご」に所属すると考えてよく、それらのモジュールの間には非常に簡単な方程式が存在する。その方程式は、超越的な形であるにもかかわらず、代数方程式の代りになるものであり、一般に研究は非常にむずかしい。この超越方程式は、解析学のこの領域のもっとも美しく、もっとも実りの多い諸定理のひとつと見ることができる。私はこれを、与えられた数に対応するモジュールの「はしご」の、非常に遠く離れているさまざまな項をきわめて容易に見つけるための使用法を示した。〉

 二つの楕円関数のモジュールの間に成立する代数方程式は「モジュラー方程式」という名で呼ばれますが、ルジャンドルは変換理論の究明を通じてすでにモジュラー方程式に目をつけていた模様です。ただし、「モジュラー方程式」という名前をつけていたわけではありませんし、代数的可解性を問題にした様子も見られません。楕円関数論にはいくつもの種類の代数方程式が登場しますが、それらの代数的可解性を正面から問題にしたのはガウスとアーベルです。ガウスは思索の結果を公表しなかったのですから、実際にはただひとりアーベルのみが、代数方程式論と楕円関数論の間に橋を架けました。アーベルならではのことで、だれにもできることではありません。

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リーマンを語る 270. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その72

 ルジャンドルはアーベルとヤコビを語り、この二人の研究にうながされて「補足」を書き加える考えに傾きました。そのあたりの消息が率直に語られています。

〈まもなくシューマッハー教授の天文学の雑誌の第123号と127号、それに著者からの私的な一通の書簡により、ヤコビ氏の諸発見とはどのようなものなのか、実際の姿を知ることになった。ほとんど同時に、私はクレルレ氏の雑誌の一冊を受け取った。そこにはアーベル氏の論文があり、この理論のもうひとつの分野でのきわめて注目すべき発見の数々が含まれている。そのもうひとつの分野にはヤコビ氏が研究した分野との大きな類似性が認められる。というのは、同じ雑誌に掲載された第二番目の論文により、アーベル氏はヤコビ氏の二つの一般定理のひとつを、彼の諸公式から導き出すことができたからである。〉

〈この二人の若い幾何学者には、解析学のきわめて美しいさまざまな方法の深い知識と、非常に巧妙ないくつものアイデアのみごとな使用が認められる。この学問は彼らの手で大きな飛躍を遂げ、彼らがすでに得た諸結果に続いて、それらに劣らないほど興味深い他の非常に多くの結果が現れることであろう。〉

〈このような状勢のもとで、私の著作は、そこに新たな補足を加えて、最近の諸発見とともにそれらが受け入れる展開のすべてを説明することを急がなければ、まもなく不完全なものになるであろうと思うようになった。〉

〈このような観点のもとで、今、第一の補足を刊行するのだが、その主なねらいは、ヤコビ氏によって発見された二つの一般定理である。第一の定理は、シューマッハー氏の雑誌の第127号で公表された著者の方法でも証明される。第二の定理は、まずはじめに定理1から導かれ、次に、別個の直接的な仕方で証明される。〉

リーマンを語る 269. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その71

 『概論』巻3の「第一の補足」の序文を読んでみたいと思います。これまでに見てきたことと重複するところもありますが、ルジャンドルはしきりにヤコビとアーベルを語っていて、そのあたりが見所です。

〈私はきわめて長い歳月の間、不滅のオイラーか根底を据えた楕円関数の理論の研究に携わってきたが、この長期にわたる究明の諸結果を、1827年1月に刊行された『概論』に集積しなければならないと私は思った。〉

1827年1月に出版された『概論』というのは、巻2を指していると思われます。巻2の表紙には1826年という刊行年が銘記されているのですが、実際の出版は1827年の年初1月にずれこんだようで、ルジャンドルはそんなふうにアーベルへの手紙に書いていました。
 あるいは、巻1と巻2の合本が作られて、1827年1月に刊行されたのかもしれませんが、このあたりはよくわかりません。

〈その時点までは、幾何学者たちはこの研究領域にほとんど関与しなかった。だが、私の著作が日の目を見るや否や、その書名が外国の学者たちに知られるや否や、私はたいへんな驚きと満足とともに、二人の若い幾何学者、ケーニヒスベルクのヤコビ氏とクリスチャニアのアーベル氏が、それぞれ別個の研究を通じて、楕円関数の理論をきわめて高い地点において著しく改善することに成功したことを知った。〉

 ルジャンドルはこんなふうにヤコビとアーベルの名を挙げました。

リーマンを語る 268. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その70

 『概論』の緒言の続き。

〈クレルレの雑誌の巻3、に第11論文として掲載されたアーベル氏の第二番目の論文は、(1)モジュールがsin45度という、レムニスケートの弧長を著す特定の関数の等分について、(2)〉第一種関数の一般的な変換について、きわめて注目すべき諸結果をもたらしている。後者のおかげで、著者は、ヤコビ氏によって前に公表された、言い換えると告知された二つの一般定理を非常に簡単で、しかも非常に直接的な仕方で証明することになった。
 われわれは、この二人の若い幾何学者の業績の他の細部には立ち入らない。彼らの才能は学問の世界で大きな輝きを伴って知られている。今では諒解されていることだが、この『概論』の著者は、著者がいわばその「創造した人」である解析学の領域の完成度を大いに高めてくれたさまざまな発見に対し、大きな拍手を贈らなければならなかったのである。〉

〈そこで著者は、これらの新しい発見の一部分をいっそう簡単に、しかもそれらの固有の理念にいっそうよく調和する視点のもとで提示することにより、著作の内容を豊かにする計画を立てた。このようなものが、引き続く二つの「補足」と、後に『概論』の巻3を作るために、著者がたぶんそこに付け加えることのできるもののねらいである。〉

 『概論』巻3の構想がこうして表明されました。巻3は三つの「補足」で編成されていますが、上記の緒言で言及されているのは「第一の補足」と「第二の補足」の二つだけです。それらは別々の著作として出版された模様ですが、ルジャンドルには巻3というまとまった形の著作を作る意図があったようで、上記の緒言の末尾にもそんな様子がわずかに顔を出しています。巻3は実際に成立し、ぼくの手元にもコピーがあります。成立過程については前に書き留めたことがありますが、だいぶ前のことでもありますので、簡単に振り返っておきたいと思います。
 巻3の緒言には日付はありませんが、手元にある巻3のコピーの表紙には1828年という刊行年が銘記されています。「第一の補足」の序文の日付は「1828年8月12日」ですから、「第一の補足」は1828年のうちに出版されたとみてよいと思います。これに対し、「第二の補足」の本文の末尾には「1829年3月15日」という日付が附されていますから、「第二の補足」が出版されたのは1829年でしょう。「第三の補足」の本文の末尾に記されている日付は「1832年3月4日」ですから、1832年をもって巻3が成立したという想定が可能です。

リーマンを語る 267. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その69

 ルジャンドルはヤコビの賞賛をもう少し継続し、さてその後にアーベルの研究を語ります。

〈ここで言及するのは、ヤコビ氏が開いた領域においてヤコビ氏が歩んだ最初の数歩のことのみにすぎない。その最初の数歩によって抱かせられた希望は、ヤコビ氏がシューマッハーの雑誌とベルリンのクレルレの雑誌に掲載した新しい作品の数々によって裏付けられたが、その裏付けは、彼が『楕円関数の理論の新しい基礎』という書名でまもなく出版しようとしている著作により、さらにいっそう完全に遂行されるであろう。〉

〈ヤコビ氏のすばらしい好敵手であるクリスチャニアのアーベル氏が、クレルレの雑誌とシューマッハーの雑誌にほとんど同時に発表したみごとな研究の数々について語らなければならない。クレルレの雑誌の巻2に第12番目に掲載されたアーベル氏の最初の論文は、きわめて一般的な視点のもとで考察された楕円関数についての、ほとんど完全な理論をすでに形作っている。そこに見いだされるのは、(1)楕円関数への虚量の導入に関する完全に新しいみごとなアイデアの土台のうえに確立された、楕円関数とその逆関数の基本的な諸性質、(2)楕円関数の乗法と等分に使われる諸公式をきわめて単純な仕方で作り出す方法、(3)提示された任意の楕円関数、あるいは完全関数を等分するのに使われる代数方程式を、可能な限り一番低い次数に帰着させることに関する非常に広範囲にわたる叙述とその解法、(4)楕円関数を級数および無限積に展開するための数々の式、などである。

 今日の数学史の本ではアーベルとヤコビは好敵手として語られるのが普通ですが、この流儀の淵源はルジャンドルなのではないかと思います。ルジャンドルの目にアーベルとヤコビが好敵手と映じたのはまちがいなく、その光景がそのまま継承されたのでしょう。もっともルジャンドルが最初に評価したのはヤコビのほうで、ルジャンドルはヤコビに教えられてはじめてアーベルの真価を認識したのでした。

リーマンを語る 266. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その68

 「はしご」の話の続き。ルジャンドルがヤコビの発見をどれほど喜んだことか、喜びに満ちた声が生き生きと伝わってきます。

〈モジュールの作る新しい「はしご」は、与えられたモジュールから、単に平方根と三乗根を開くだけで導き出すことができた。この新しい「はしご」は古い「はしご」を使って得られるものよりもはるかに迅速な近似をもたらした。最後に、これらの二つの「はしご」を組み合わせることにより、第一種関数の変換を驚くべき仕方で乗じることができた.それを見て、著者はある種の格子模様が作られているような感じがした。それは2次元の方向に無限に広がり、そのすべての格子は、ある同一の関数が受け入れるさまざまな変換で満たされていた。それゆえ、楕円関数の理論のこの領域において、さらに遠方に歩をのばすことができるとは、とうてい思えなかったのである。〉

〈ところが、ある若い幾何学者、ケーニヒスベルクのヤコビ氏は、1827年1月にようやく出版されたばかりの『概論』を知らなかったのだが、独自の研究により、先ほど言及した数3に関連する第二の「はしご」ばかりか、数5に関連する第三の「はしご」をも発見することに成功した。しかも彼は、提示されたあらゆる奇数に対して類似の「はしご」が存在するにちがいないという確信を、すでに手にしていたのである。〉

〈この美しい解析学の発見の告知はシューマッハーの天文学誌の第123号において行われた。そこには数3と5に関わる「はしご」の作成についての二つの個別の定理と、さらに、任意の奇数に適用される「はしご」を作るためのひとつの一般定理が見いだされる。〉

〈この一般定理の証明は少し後に同じ雑誌の第127号において発表された。その証明は著者の鋭敏さの大きさと、彼がこのテーマの困難を乗り越えるために使用した方法の多産さをすっかり明るみに出した。この定理はあらゆる奇数に対して確立されたのであるから、そこから、各々の整数もしくは有理数に対し、モジュールの個別の「はしご」を作ることができるという結論を下すのは容易である。その「はしご」は同一の第一種関数の無限に多くの変換を引き起こし、それらの変換はすべて代数的に定められる。〉

 ルジャンドルはヤコビの発見を予想することはできませんでしたが、意味するところを理解することはできました。このあたりの消息がアーベルの場合と異なるところで、ルジャンドルはアーベルの「パリの論文」にまったく関心を示しませんでした。「超越的なもの」の世界において円関数と対数関数の次に楕円関数を切り取って考察を加えようというのがルジャンドルの関心事なのですから、完全に一般的な代数関数の積分を考えて、しかもそこに加法定理が存在することを示そうとするアーベルの論文は、あまりにも隔絶していたのではないかと思います。

リーマンを語る 265. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その67

 『概論』の巻2は二部構成で、第一部は楕円表のいろいろ、第二部は「オイラー積分」です。この巻もていねいに呼んでいけばおもしろいことがいろいろありそうなのですが、何だか果てしがないような感じですので省略することにして、巻3に移りたいと思います。巻3についてはだいぶ前に多少言及したことがありますが、3篇の「補記」だけで編成されているという、実に不思議な形の書物です。
 巻3そのものに緒言がついていますので、ともあれ目を通してみたいと思います。

〈この『概論』の第一巻の冒頭に配置された論説において、著者が前に『演習』において公表した楕円関数の理論に与えた主だった改良のあれこれが報告された。もっとも著しい事柄のひとつは、その時点でただひとつだけ知られていた「はしご」と異なる、モジュールの第二の「はしご」の発見である。著者はこれを巻1の第31章で叙述した。この発見は1825年のはじめに起ったことに注目しなければならない。なぜなら、その叙述を含む巻1は同年9月12日の会議の場で科学アカデミーに提出されたのであるから。〉

〈話題に持ち出されている第二の「はしご」は、多くの点で、この理論における著者の研究を補って完成の域に高めてくれた。この「はしご」により、解析学のいくつもの美しい結果に到達するための容易な道筋が開かれた。それらは、その時点までは、きわめて骨の折れる積分によるほかに証明することができなかったのである。〉

 モジュールの「はしご」の話から始まっていますが、この話はもう少し続きます。この発見の先にヤコビの発見が出現するのですが、ルジャンドルの話はヤコビの発見を語るための助走です。さらにその先にはアーベルも登場しますし、「補記」というのはつまりヤコビとアーベルの研究成果の報告にほかなりません。

リーマンを語る 264. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その66

 『概論』巻1の長い序文ももう少しで終ります。取り立てて言うことはもうないのですが、一番最後にオイラーの名前が登場します。

〈引き続く研究により楕円関数の理論はますます完成の度合いを高めることになったため、この解析学の新しい領域をいっそう詳細な叙述をもって提示し、幾何学と力学から選ばれたさまざまな問題への楕円関数論の応用を示すことが要請されるようになった。だが、この理論を完全に役立つものにするには、提示された各々の場合において、第一種と第二種の関数の数値を見つけることのできる一系の表を作らなければならなかった。それらの表は、計算の長さと困難を縮めるのにもっとも適切な方法と諸式を見つけることをねらって企図された大量の研究の後に、ようやく作成された。〉

〈このようなわけで、われわれがこれから説明しようとしている理論は、引き続いて行われる大量の研究により増大し、ほぼ完成の域に達して、円関数や対数関数と同程度の容易さで使えるようになることであろう。それこそがまさしくオイラーの願いと望みであった。〉

 円関数すなわち三角関数と対数関数については精密な数値表が作成されていて、それを参照することにより、これらの関数は自在に使いこなすことができます。そこにもう一例、楕円関数を自由に使える関数の仲間に加えることがオイラーの願いと望みだったというのが、ルジャンドルの所見です。一理ありそうに思える指摘ですし、そうなのかもしれませんが、それと同時に何かが抜け落ちているような感じもあります。それは「等分理論」です。
 もっともオイラーにも等分理論はありませんでした。等分理論はファニャノにはあったのですが、オイラーは関心を示しませんでした。ですから、オイラーの継承ということに関心の的をしぼる限り、ルジャンドルの指摘は正確なのかもしれず、ただ等分理論は手つかずのままに残されました、これを復興させたのはガウスですし、アーベルもまたガウスを継承しました。
 こうしてみると楕円関数論にはオイラーとガウスに端を発する二つの流れがあり、二つとも、ファニャノにおいて萌芽が芽生えていたと言えそうです。ただし、ここがまためんどうなところなのですが、ガウスはファニャノを語りません。その理由はたぶん等分理論の本性に寄せる視線が異なるからで、ガウスは等分理論を数論の範疇において観察したのですが、そのような視点はファニャノにはありませんでした。こんなことも考えなければなりませんし、歴史的考察というのはまったくめんどうでむずかしいものです。
 ルジャンドルはオイラーのめざしたことを汲み取って、オイラーに代って実現しようと試みました。ルジャンドルの楕円関数研究はオイラーの忠実な継承だったことがはっきりと見て取れる言葉です。

リーマンを語る 263. ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その65

 ルジャンドルはラグランジュとランデンの研究に言及していますが、論文のタイトルは挙げず、ただ掲載誌の刊行年のみ、脚註に記しています。それによると、ラグランジュの論文は1784/85年、ランデンの論文は1775年に出ています。これを受けてルジャンドルの楕円関数論研究が始まるのですが、「楕円の弧を用いる積分について」「楕円の弧を用いる積分について 第二論文」という論文(二つに分けられていますが、実質的に一篇の論文です)が王立科学アカデミー紀要に掲載されたのは 1786年(1788年刊行)、続いて「楕円的な超越物について」という論文が出たのが1793年のことでした。
 歴史的回想を踏まえて、ルジャンドル自身の研究の説明が行われます。

〈私が楕円の弧を用いる積分に関する研究を公表したとき、この種の積分の理論における幾何学者たちの主立った発見はこのようなものであった。私の研究では、この時点までに知られていた定理の大部分を証明した後に、あるひとつの同じ法則に沿って作られる楕円の無限系列において、それらの楕円のひとつの弧長測定はその系列から任意に取られた他の二つの楕円の弧長測定に帰着されることを示した。これは、困難な領域に踏み出された一歩であった。〉

〈だが、このテーマは、また一般に∫pdx/Rで表される「超越的なもの」の理論は、いっそう体系的で、しかもいっそう深いやり方で取り扱う必要があった。それが、私が1793年に公表された「楕円的な超越物について」において実行しようと試みたことである。この論文において、私は上記のように表記された式に含まれるすべての関数を相互に比較し、それらを何種類かに区分けし、もっとも迅速でもっとも容易な近似法で数値を算出し、最後にこの理論の全体からこの解析学の領域を拡大するのに役立ちうるある種のアルゴリズムを作ることをめざした。〉

 『積分演習』に書かれていたこととほぼ同じことが繰り返されています。ルジャンドルは『積分演習』以前に「楕円の弧を用いる積分について」と「楕円的な超越物について」という論文を書きましたが、前者から後者へと移行する中で「曲線との別れ」が遂行されました。ルジャンドルはこれをオイラーに学んだのですが、オイラーのねらいを正しく汲んで、非常に忠実にオイラーに追随しています。独創というのとは違いますが、これはこれで貴重な能力なのではないかと、このごろ特に強く思うようになりました。

リーマンを語る262.ルジャンドルとヤコビの往復書簡より その64

 オイラーに続いて登場するのはラグランジュです。

<ラグランジュはオイラーによって発見された積分を解析学の通常の手法に取り込もうと念願した。彼はあるきわめて巧妙な方法により目的地に到達した。その方法の適用は低位の「超越的なもの」から「オイラーの超越的なもの」へと少しずつ高まっていく。だが、彼はオイラーの結果よりも一般的な結果に到達しようと試みて果たせなかった。>

 オイラーの次にラグランジュが語られるのは数論の場合と同様です。ラグランジュは具体的に何をしたのか、まだわかりません。ラグランジュは数学史に名を遺す偉大な数学者ですし、その名を知らない者はいないと思いますが、実際のところ何をしたのかというと、案外不明瞭です。
 ルジャンドルの語る楕円関数論史では、ラグランジュの次はランデンの番になります。

<少し後に、イギリスの幾何学者ランデンは、双曲線の弧はどれも、楕円の二つの弧を用いて測定可能であることを示した。これらの「超越的なもの」の理論を単純化する、記念するべき発見である。この発見により、著者(註。ルジャンドルのことです)は他のいっそう重要な諸結果へと導かれたのである。>

<最後に、ラグランジュは∫pdx/Rという形の積分を近似法で見つけるための一般的方法を与えて、この領域で新たに注目された。>

このあたりの消息は『積分演習』でも語られていました。ラグランジュの次はルジャンドル自身の研究を語る番になります。

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