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新連載のお知らせ

「新しい数学史を求めて」の前に「岡潔先生をめぐる人々」を連載していましたが、142回まで進んだところでひと休みの恰好になっていました。おおよそ8年分のフーリフィールドワークの模様を記録したいのですが、ようやく2年目の終りがけに達したところでした。岡潔先生の晩年の交友録を書くための不可欠の作業ですので、あすから再開し、しばらくの間、続きを書いていきたいと思います。
 詳しく話せばきりのないことですし、それにこれまでも同じような話を繰り返してきたように思うのですが、ともあれそんなわけですので、コーシーの無限小解析の枠の中にフーリエ解析の柱を打ち立てるのが、今日の解析概論に望まれる姿ではないかというのが、津田塾大学の数学史シンポジウムでの講演の骨子でした。年のためにもう一度強調しておきますと、この場合のフーリエ解析というのはフーリエとディリクレ、それにリーマンの理論そのものを指しています。
 それともうひとつ、これは数学史シンポジウムの講演では多くを語ることのできなかったことなのですが、フーリエ解析とともに複素解析もまた微積分のテキストに取り入れて、主柱を二本にしたいところです。実解析と複素解析を区分けするのは適切とはいえませんし、発生の事情を顧みても複素解析の契機は微積分のはじまりの当初からすでに芽生えていたのでした。まずはじめに実解析ができあがり、それからおもむろに複素解析へと進んでいったというような凡庸な現象は実際には見られないもので、新しいことがはじまるときにはすべてがいっせいに芽生えるものなのではないかと思います。
 講演ではおおよそこんなふうなことを話し、そのうえで、自分で言い出した理想の微積分のテキストをみずから書いてみたいと宣言しました。欲を言えばさらにもうひとつ、フーリエ解析と複素解析に加えて変分法を添えたいところですが、この方面はまだ勉強が足りませんので、発言することができません。ベルヌーイ兄弟に端を発し、オイラーの手で歩みを始めた変分法の研究が進展すれば、微積分のテキストはますます充実したものになるにちがいありません。
 シンポジウムの会場にはゴローさんと谷川さんの姿も見えました。谷川さんは高校の数学の先生ですが、ゴローさんの大学時代の先輩で、お二人とも山岳部の出身です。シンポジウムの終了後、コーシーとフーリエを翻訳した西村研究員もいっしょに四人で国分寺のおそば屋さんに行き、しばらく話をしました。「ハーケンを打つ」という話はこのときうかがいました。西村さんにはぜひもう一冊、翻訳を手がけてほしいという話も出ましたので、ここはぜひロピタルの『曲線の理解のための無限小解析』の完訳をめざしてほしいと提案したところ、ゴローさんと谷川さんも大賛成でした。はじめはためらっていた西村さんもついに承諾し、これからの方針が定まりました。

 シンポジウムに前後して依頼された原稿が二つあり、ひとつは締め切りが10月20日ですので、講演の準備と平行して少しずつ書き進めていました。テーマは「寺田寅彦の物理学」です。もうひとつの原稿のテーマは岡先生のことで、岡先生の学問を紹介してほしい、具体的には「現代数学における岡理論の意義」について書いてほしいというのが依頼の内容です。岡先生の多変数関数論は今日の数学の根幹を作っていますから、「現代数学における意義」があるのはまちがいありませんが、岡先生本人はこれが不満で、あれは私の理論ではないと言っていました。それで、「現代数学における意義」を書くと岡先生を書いたことにはならず、岡先生の数学研究そのものの意義を書くと現代数学とは離れてしまいます。ここを突き詰めていくとむずかしい問題になるのですが、少し話し合って、岡先生自身に焦点をあてて書くことになりました。
 岡先生の「情緒の数学」にはいわゆる情緒的な雰囲気はまったくなく、秋霜烈日というか、恐るべき厳しさを内に秘めています。それとともにもうひとつ、「情緒の数学」の根底には、今日の数学のすべてを向こうに回して全面的に対峙するというほどの、強靭な意志が充満しています。ヨーロッパにもリーマンやアーベルのような数学者がいたことですし、かつては「情緒の数学」が成立していたと思いますが、20世紀にはいってしばらくして情緒の消失が目立ち始め、岡先生の目には、今日の数学にはすっかり地を払ったように映じていたのではないかと思います。
 岡先生は数学という学問をそんなふうに見ていたのではないかと思いますし、40年前に岡先生を知ったときから心を惹かれていたのですが、これを実証するには大量の古典を読まなければなりませんでした。「情緒の数学」という視点は成立すると、今は思います。それで「情緒の数学史」を書けそうですが、そのうえでなお大きな課題があります。それは、晩年の岡先生が20年ほど取り組んで、ついに放棄した難問のことなのですが、これについてはいずれよい折を見て語りたいと思います。
 講演の内容に関連してコーシー「枠」とフーリエの「中味」のその後の状況に着目すると、1829年と1837年のディリクレの論文が目に留まります。本当はここで詳しく紹介したいところですが、要点だけ押さえておくと、ディリクレはつまりフーリエの「中味」をコーシーの「枠」の中で諒解しようとしたのでした。ディリクレの次にリーマンの1854年の論文が続きます。リーマンは数学的意図をディリクレと共有していますが、対象として設定される関数の範疇が異なっています。すなわち、ディリクレは連続関数の範囲内でフーリエ級数の収束性などを論じたのに対し、リーマンは守備範囲をもっと拡大して有界関数を考察しています。これで、今日のいわゆる実解析の土台が構築され、その後の道筋の方向が定まりました。
 こんな状況を念頭に置いて解析概論のあるべき姿を思い浮かべると、フーリエ解析を中心に配置するのはよいアイデアです。フーリエ級数は今日の微積分のテキストでも取り上げられることはありますが、何というか、「枠」と「中味」が分離しているような印象があります。そうではなくて、「論理」の根底にある「情緒」を重く見て、コーシーの「枠」の中でフーリエの「中味」を理解しようとしたディリクレとリーマンの心情が伝わるように教程を組み立てるのが望ましいと思います。今日の微積分のテキストはコーシーの「枠」を継承していると見てよいと思いますが、「枠」は「枠」だけで「中味」がありませんから、さっぱりおもしろくありません。
 簡単な一例を挙げますと、イプシロン-デルタ論法を学ぶのに、y=x^2のような簡単な関数の連続性をイプシロン-デルタ論法で証明するというようなことは退屈な練習です。オイラーのいう解析的表示式なら、なにしろ式で表示されているのですから、連続性は式の形を見るだけで明らかで、証明など考える必要はありません。微分も積分も式を見れば一目瞭然、自由自在に計算を遂行することができます。さながら桃源郷のような世界ですが、関数の概念を拡大する必要に迫られて(ここは微積分を理解するうえで根幹に触れる論点です)、解析的表示式を離れて抽象的な関数を考察しなければならない事態に立ち至ったとき、正確に言えば、そのような事態に直面したことを自覚したとき、ぼくらはどこに、もしくは何に手がかりを求めて登攀を試みなければならないのでしょうか。
 こんな決意を新たにするのは実際にはあまりにも困難ですし、それ自体すでに並大抵のことではないのですが、コーシーはまちがいなくこの点に気づいた「一番はじめの人」でしたし、数学者としての偉大さはまさしくその一点において認められます。コーシーの創意は、抽象的な関数を対象として連続性の概念を設定したところにすでに現れていますが、コーシーはこの概念をオイラーが開いた解析的表示式の世界から取り出したのでした。オイラーの桃源郷で自在に行われたあれこれの事柄の中から抽象的な概念を抽出し、それらの概念をいわば「曠野の杭」に見立てて、解明の足場にしようとしたのですが、山登りに例を求めるなら断崖絶壁にハーケンを打ち込むというような作業に相当するのでしょうか。微分と積分の概念も作り直さなければなりませんし、関数の連続性や微分可能性や積分可能性の判定条件や相互関連など、今日の微積分に見られる細かい点検作業がこうして課せられてくることになります。
 さて、抽象的な関数の連続性を規定するにはどうしたらよいのかというと、個々は工夫の余地のあるところなのですが、コーシーが提案したのはイプシロン-デルタ方式による概念規定でした。形式上の正確さということでしたら、コーシーはエプシロン(ε)という文字もデルタ(δ)という文字も使っていないのですが、異なるのはそこだけで、コーシーによる概念規定の文言を二つのギリシア文字εとδを用いて記述すれば、今日のイプシロン-デルタ方式による定義の文言がおのずと浮かび上がります。
 そこでこの論法を理解するにはどうしたらよいのかということについてですが、以上のような経緯があって発生したことに鑑みると、解析的表示式ではない関数を取り上げて、その連続性をイプシロン-デルタ論法で判定することを試みるべきではないかと思います。たとえば、ディリクレは1829年の論文で「ディリクレの関数」を紹介しています。有理数に対しては値0、無理数に対しては値1をもつというような関数のことですが、こんな関数は連続と見るべきなのか、あるいは不連続と見るべきなのか、見てもわかりません。それでもなお歩を進め、このような奇妙な関数の連続性を考えていくところにこそ、イプシロン-デルタ論法の本来の面目があります。初学者にこそ、真っ先に立ち向かってほしい課題です。

(註釈)
ギリシア文字εは「エプシロン」と読むのがただしいのではないかと思いますが、「ε-δ論法」の「ε」についてはなぜか「エプシロン」とは読まず、「イプシロン」と読む習慣が定着しています。
 津田塾大学の数学史シンポジウムでは、
「フーリエとコーシー 初期の実解析の諸相」
という題目を立てて講演しました。持ち時間は40分で、時計を見ながら話をしたのですが、5分ほど超過してしまいました。途中でなぜか時間を間違えてしまったためなのですが、緊張して、いわゆる「あがっていた」のでしょう。講演は何度経験しても、終ると必ず「今日は失敗した」と思ってしまいます。
 昨年は「解析概論の系譜」という題目で講演しました。微積分のテキストの系譜というほどの意味ですが、数学史上にはじめて出現したテキストはロピタルの著作『曲線の理解のための無限小解析』でした。この作品は実はロピタルの創意によるものではなく、ヨハン・ベルヌーイに教えてもらったことを再現して成立したのですから、勉強ノートというのがあたっています。ヨハン・ベルヌーイ自身はバーゼル大学でも微積分の講義を行っていて、その講義ノートは全集に収録されていますので、自由に参照することができます。微分計算の講義録は、あたりまえのことですが、ロピタルの著作とそっくりです。
 ヨハン・ベルヌーイの兄にヤコブ・ベルヌーイがいて、ヨハンより12歳も年長なのですが、ベルヌーイ兄弟はバーゼルでライプニッツの微積分の論文二篇を知り、研究を始め、そのうちライプニッツとの間で文通が始まりました。ライプニッツの所在地はおおむねライプチヒでした。この往復書簡こそ、微積分の揺籃と見るべきで、微積分の本質を知るには本当はここを研究しなければならないのですが、眼前にそびえる敷居はあまりにも高く、いまだに読破したとは言えない状態が続いています。ヨハン・ベルヌーイはライプニッツとの交友を通じて微積分のいかなるものかを洞察したようで、バーゼル大学での講義録を見れば、どのように理解したのか、手に取るようにわかります。それで、ヨハン・ベルヌーイの講義録を解析概論の系譜の冒頭に配置して、ロピタルの著作を重要な参考文献として併置するのが適当であろうと思います。
 解析概論の系譜の第二番目の位置にはオイラーの解析学三部作を置くことになります。その次にラグランジュの『解析関数の理論』が来て、さてその次の位置を占めるのがコーシーの『解析教程』です。このコーシーの作品は大著ですが、微分も積分も出てきませんし、これだけではまだ解析概論の全体を構成sていません。これを「序説」と見るのが至当です。コーシーの微積分の本論は、続く著作『微積分要論』に書かれています。『解析教程』が刊行されたのは1821年、『要論』の刊行は1823年。そのちょうど中間の1822年にフーリエの『熱の解析的理論』が出ています。
 フーリエの著作は解析概論とは言えず、理論の「枠」がないのですが、解析学(詳しくいえば「実解析」)の枠の内部を満たすべき「中味」がびっしりと詰まっています。実に充実した作品です。これに対し、コーシーの『解析教程』と『要論』は微積分の「枠」を提供しているのですが、「中味」はありません。そのため、さっぱりおもしろくなく、読み進めるのがつらいです。フーリエとコーシーを合わせるとひとつの解析概論が構成されますが、そうは言っても読破するのはたいへんなことで、なかなか実行できるものではありません。ところがオイラー研究所の西村所員がこの事業を遂行し、ぼくもお付き合いして翻訳稿の遂行などをしましたので、何年もかかったのですが、すみずみまで読むことができました。西村所員の功績は非常に大きいです。
 フーリエとコーシー以降、ピカール、ダンジョア、グルサ等々、いろいろな人が解析概論を書きました。日本でも高木貞治の著作『解析概論』が現れて、その後の微積分のテキストの範例となりました。
週末の17日と18日の二日間にわたって、津田塾大学の数学計算機研究所で第20回目の数学史シンポジウムが開催されました。一日目の17日には、
尾崎研究員の講演
「オイラーの変分法(続)」
鈴木名誉研究員の講演
「東北帝国大学と和算史研究〈東北帝国大学以前の林鶴一〉」
が行われました。翌18日にはぼくの番になり、
「フーリエと個初期の実解析の諸相」
という題目で講演をしました。コーシーの「解析教程」の枠の中にフーリエ解析と複素解析を配置して、新時代の解析概論を書きたいという話になりました。
 このごろは大学で使う数学のテキストはやさしくなる一方ですが、やさしい問題をどれだけ解いても、山の裾野をいつまでもぐるぐる回るだけで頂上には届きません。そうではなくて難問を集め、いきなり断崖絶壁の登攀をめざすべきではないかと思うのですが、これを実現するにはよいテキストが必要です。
 夏の京都大学の数理解析研究所で開催される研究集会「数学史の研究」と並んで、津田塾大学の数学史シンポジウムは日本の数学史研究の二大拠点です。来年も開催される予定です。
コメントを寄せていただきましてありがとうございました。何年か前に岡潔先生の評伝を二冊まで刊行し、続いて第三巻の執筆を企図したのですが、日の目を見ないまま日々がすぎました。第三巻の基本テーマは岡先生の晩年の交友録なのですが、小林秀雄は重要な登場人物のひとりですので、対話篇『人間の建設』を中心に据えて岡先生との交友ぶりを再現したいと願っています。本欄で続行中の「情緒の数学史」はそのための土台構築の作業でもあります。
 小林秀雄は岡先生の語る「情緒の数学」に深い関心を示し、共鳴し、的確な質問を重ねて岡先生の肉声を引き出そうとしています。まったく恐るべき対談です。
 数学の根底には「情緒の世界」が広々と広がっていて、数学はその世界から生まれるのだというのが、岡先生の提唱する「情緒の数学」であろうと思います。情緒の世界には形のある数学は存在しませんが、無限の可能性が遍在する世界ですし、あらゆる形態に変容する可能性ばかりが充満しています。岡先生のいう情緒はまるで万能細胞のようで、千変万化、あらゆる形に変容しうる可能性を備えています。数学で「形」といえば、言葉で表明された概念の定義や、証明の対象となる定理や、論理的に構築された大小さまざまな理論体系など、すなわちぼくらが普通「数学」という名で呼んでいる学問を指しています。その「普通の数学」はどこから生まれてきたのだろうというのが岡先生の問い掛けですが、岡先生はみずから問い、みずから「情緒の世界から」と答えました。このような根源的な問いを問い、答えることさえできるのは尋常のことではなく、数学の創造に直接携わり、寄与することのできた人だけに許された特権であろうと思います。
 岡先生の「情緒の数学」に感銘を受けてすでに40年になりますが、この間、一貫して念願していたのは、「情緒の世界」から生まれる数学の具体的な事例を目撃したいということでした。岡先生の論文集はまちがいなく具体例になっていますし、そのことは一読してすぐにわかりました。岡先生は御自身の数学研究の実際の姿をもって、「情緒の数学」のいかなるものかを語っているのですが、ぼくが念願したのは、「もうひとつの事例」を見ることで、それが古典研究の唯一の動機になりました。
 古典研究も30年になりますが、ヨーロッパの近代はさすがに数学の発祥の地であるだけに、岡先生のような「偉大な数学者」が幾人もいます。デカルト、フェルマ、パスカルあたりからはじめて指を折っていくと、ライプニッツ、ニュートン、ベルヌーイ兄弟(ヤコブとヨハン)、オイラー、ラグランジュと続き、それからガウスが登場します。ガウスから先は19世紀になりますが、アーベル、ヤコビ、アイゼンシュタイン、ディリクレ、リーマン、ヴァイエルシュトラス、クンマー、クロネッカー、エルミート、ポアンカレ、ヒルベルトと華やかな名前が並びます。数学のいかなるものかを知ろうと望むのであれば、これらの人々のすべての作品を読破しなければならないのですが、言うは易く、行うは難し。一代でなしうる作業ではありません。
 いずれ機会を見て古典研究の日々を回想してみたいと思いますが、「情緒の数学」に話をもどしますと、この目で見たいと念願した「もうひとつの事例」をガウスの数論の中にまざまざと見ることができました。そのありさまについてはもう少し連載を続けて紹介したいと思いますが、そこまで進めば連載稿「情緒の数学」も一段落します。
 ゲーテはニュートンの光学に抗して独自の色彩論を書き綴り、その色彩論がこれからどのように受容されることになるのか、ヨーロッパの未来はその一点にかかっていると考えていたそうですが、岡先生の「情緒の数学」についても同じことが言えそうです。これはこれでひとつの大きな問題を形成していますので、思索を重ねていくと数学を超えてしまいそうです。
 18日の日曜日に津田塾大学でお会いしましょう。再会を楽しみにしています。

テレビ出演

一昨日の水曜日、9月30日のことですが、地元のKBCテレビの人たちがオイラー研究所の研究室にやってきました。「アサデス(朝です)」という早朝の、といっても7時前後のことなのですが、番組に出てほしいという依頼を受けて出演することになったためです。筥崎宮という神社に掲げられている算額を紹介するという趣旨のコーナーが番組中にあり、ルポライターのお尋ねに答える形で、算額とは、和算とは、という話をしました。
算額には問題が五つ出ていて、それぞれにきれいな図と解答がついています。そのうちの一題を選び、問題の中味と解法を説明しました。大きさの決まった同じ楕円が円の周囲に接触しつつ16枚配列されて菊の花を描くとき、真ん中の円の大きさを求めよという問題でした。どの程度のレベルの問題ですかと尋ねられましたので、むずかしい私立中学の入試問題程度と思いますと答えましたが、「中学」ではなくて「高校」だったかもしれません。最後の五番目の問題は難解でした。
問題の難易よりも、日本の数学は、問題がおもしろくて美しいこと、問題の意図を表す図がきれいにかわいらしく描かれることが非常に重要視されていると思います。
リハーサルをしてほしかったのですが、何となく始まって話をしているうちに、はいけっこうです、ということになり、これで本番が終ってしまいました。後悔先に立たず。見たくもあり、見たくもなし。テレビを見るのがちょっとこわいです。放映は来週の水曜日、10月7日ということでした。

9月後半の旅

今月は16日から旅行に出かけました。東京に向かい、麻布の有栖川宮公園内にある都立図書館で古い新聞を調査しました。それから出版社の人との話し合い、共立出版社の「文献を読む会」で講演、帰郷と続き、最後に25日と26日の両日、大阪大学で行われた日本数学会に出席して、昨晩遅く出発点にもどりました。12日間の旅になりました。
 これで長い夏休みがようやく終わり、28日(月)から新学期が始まります。「情緒の数学史」の連載もついつい途切れがちになりましたが、明日から再開したいと思います。

 昨日の「数学文献を読む会」には20名ほどの参加者があり、とどこおりなく終了しました。質疑応答も活発でした。ガウスの数論を素材にして話をしたのですが、眼目は「数学とはいかなる学問なのか」というテーマに対して所見を述べるところにありました。数学は物理や化学がサイエンスであるというような意味ではサイエンスではありません。物理や化学が「物理的自然」を究明の対象にしているように、数学は「数学的自然」を想定して思索の対象にしています。「物理的自然」は「人」とは無関係に,言い換えると客観的に存在すると考えられていますが、「数学的自然」についてはどのように考えるのがよいのでしょうか。
 「数学的自然」は客観的に存在するという立場を採れば、数学は物理や化学と同様のサイエンスの性格を帯びてきます。ですが、「数学的自然」それ自体もまた人がクリエイト(創造)したものであるという視点を設定することも可能ですし、ガウスの数論が成立した事情を観察すると、そのように考えるほうが諸事情によく合致します。数学は人が発見する学問ではなく、人がクリエイトする学問です。ガウスがクリエイトした数学は実際にはそれだけではまだ何物でもなく、アーベルやヤコビ、アイゼンシュタインやディリクレ、それにヴァイエルシュトラスやリーマンに継承されてはじめて数学へと成長し、普遍性に似た性格を帯びました。
 おおよそこんなことを話しました。ガウスの数論のほかにも、このような事例はいくつかあります。それらのひとつひとつを拾い集めていけば、新しい数学史の叙述がおのずと成立するのではないかと思います。

数学文献を読む会

「数学文献を読む会」
本日18日の夜、東京茗荷谷の共立出版社で
「数学文献を読む会」
が開催されます。6時半から8時までで、講演1時間、質疑応答30分。
「『アリトメチカ研究』以後のガウスの数論」
という題目を立てて話をしてきます。参加者は20名前後とのことです。

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