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昨日11日から,津田塾大学の数学・計算機科学研究所が主催する数学史シンポジウムが始まりました.初日の講演は,エントリーが10個でしたが,講演者の都合で実現しなかった講演がひとつありましたので,全部で9個の講演が行われました.千差万別というか,いろいろな方面の講演が並び,おもしろい一日でした.昨年まで欠かさずに出席し,すべての講演に耳を傾けていた杉浦先生の姿が,今回は見られませんでした.このシンポジウムが始まった当初は10名ほどの出席者しかいなかったこともありましたが,近年は講演の希望者が多く,今回はついに先着20名程度という人数制限が実施されました.50名を越える参加者があり,議論も活発でした.日本の数学史研究に寄せる杉浦先生の心情は多くの人々の心に共鳴し,強く支持されていると思います.
 二日目の12日は10個の講演が予定されています.
 ライプニッツが考案した接線法は万能ではありますが,ひとつだけ問題があります.それは,接線が存在するにもかかわらず,この方法では見つけることのできないものがあるということで,接線がx軸やy軸に平行になるとき,そんな現象が起ります.たとえば,関数
   f(x, y)=y-x^(1/3)
を取って,曲線C : f(x, y)=0 を考えると,微分して,接線の局所方程式
  dy-(1/3)x^(-2/3)dx=0
が得られますが,微分dxの係数(1/3)x^(-2/3)はx=0において値をもちませんから,曲線Cの原点O=(0, 0)における接線は存在しないかのように見えますし,少なくともこの手順では見つかりません.ところが,実際には原点における接線は存在し,それは方程式x=0で表示される直線,すなわちy軸にほかなりません.
 そこで少し工夫して関数
   f(x, y)=y^3-x
を考えると,方程式f(x, y)=0によって表示される曲線は上記のCと同じものになります.微分を作ると,
 3y^2dy-dx=0
となって,今度は原点における接線x=0が見つかります.この接線は関数f(x, y)=y-x^(1/3)を考えるのでは見つからず,関数f(x, y)=y^3-xを考えると見つかりました.この一見して奇妙な現象は何に起因するのでしょうか.
 曲線C : f(x, y)=0が提示されたとき,式f(x, y)=0の微分を作ればこの曲線に接線を引くことができます.関数z=f(x, y)に対して微分計算を実行すると,
   dz=Adx+Bdy
という形の等式が手に入ります.ここで,A, Bはそれぞれ関数fのx, yに関する偏微分係数A=∂f/∂x,B= A=∂f/∂yです.曲線C上ではf(x, y)=0ですから,dz=0.すなわち,
   Adx+Bdy=0
という等式が得られますが,これは曲線Cの接線の極小部分の方程式にほかなりません.もう少し具体的に表記すると,曲線C上の点P=(a, b)において接線を引きたいのであれば,点Pを頂点のひとつとし,dxとdyを直角を挟む二辺とする無限に小さい直角三角形を描くと,その三角形の斜辺は,点Pにおける接線の無限に小さい断片になります.それを限りなく延長してできる直線が接線ですから,接線上の任意の点を(x, y)で表すとき,比例式
  dx : dy=x-a : y-b
が成立します.そこで,上記の等式Adx+Bdy=0においてdx, dyをそれぞれx-a, y-bに置き換えれば,等式
  A(x-a)+B(y-b)=0
が得られます.これが,点Pにおける曲線Cの接線の方程式です.簡単な一例として多項式f(x, y)=x^2+y^2-1を考えると,曲線C : f(x, y)=0は単位円周になりますが,この場合,A=2x, B=2yですから,この円の上の任意の一点P=(a, b)における接線の方程式は
  2a(x-a)+2b(y-b)=0
となります.両辺を2で割り,等式a^2+b^2=1に留意して形を整えると,
  ax+by=1
というきれいな形になります.
 この接線法は関数f(x, y)がどのようなものであっても有効ですが,関数f(x, y)は微分可能でなければなりません.そうでなければ接線の方程式の係数AとBが定まらないのですが,たとえ微分可能であってもAとBが同時に0になる点においては,接線の方程式は0=0という意味のない式になってしまい,やはり接線は定まりません.そのような点では接線が存在しないのです.
 関数f(x, y)が微分可能で,AとBが同時に0になることのない点ではつねに接線が存在し,接線の方程式を書き下すことができますが,関数f(x, y)をどのようなものとして認識するのかという点は大きく残ります.ライプニッツやベルヌーイ兄弟やオイラーでしたら,彼らの眼前にある多種多様な曲線の各々に接線を引きたいと望む限り,式f(x, y)を個別に設定すればよいのですから,関数とは何かという観念的な問いはそれほど大きな問題にはならず,オイラーがそうしたように,「解析的な式」として,しかも解析的な式というものの定義は欠如したままの状態で,関数を考えておけば十分なのではないかと思います.ですが,さらに一般的な関数概念が要請されるようになると,微分可能性の問題は大きな論点になってきます.
 関数f(x, y)の形を限定して,曲線の方程式が
  y-f(x)=0
という形で与えられる場合を考えると,高校ではじめて微積分に接したとき以来のおなじみの接線問題が現れます.ここでf(x)はxの関数ですから,曲線Cはこの関数のグラフにほかなりません.f(x)としてフーリエの「まったく任意の関数」やディリクレの関数を採用すると,曲線Cの形状はにわかに不安定になり,はたして接線が存在するのかどうか,不透明な状勢に逢着します.
 当初の微分法は接線法と呼ばれ,その具体的な計算の方法は微分計算と言われていました.提示された曲線が代数的でも超越的でも,それを表示する方程式が明示されさえすれば,微分計算を実行することにより,自在に接線を引くことが可能になります.これはライプニッツが創案した計算法ですが,ライプニッツ以前には,いろいろな曲線に接線を引きたいという「狂熱」に数学者たちの心情が満たされていた時代がありました.デカルト,フェルマ,パスカルなどの名が次々と思い出されます.
 これに対し,積分法の方は当初は逆接線法と呼ばれ,その計算法は積分計算と呼び慣わされていました.逆接線法と言えば,曲線に接線を引く方法の逆演算を意味する言葉ですが,積分法というと面積や体積を算出する方法という印象を受けます.すなわち,逆接線法を遂行する姿の実相がそもそものはじめから積分計算と呼ばれたという,まさにその事実の中に,微分と積分は互いに他の逆演算という数学的発見が内包されていたと見てよいのではないかと思います.ライプニッツは(それに,ニュートンもまた)何かしら重大な数学的発見に到達したことは間違いなく,その発見は接線法と逆接線法という言葉を伴って表明されました.接線法と逆接線法を合わせて解析学の一分野と見るときは,無限解析や無限小解析という呼称が使われました.
 ライプニッツの接線法の姿を簡単に振り返ってみたいと思います.今,平面上に曲線
  C : f(x, y)=0
が描かれたとします.ここで,f(x, y)は二つの変化量x , yの関数ですが,曲線をこのような形で提示すると,「関数とは何か」という問いにいきなり逢着してしまいます.一番簡単なのはf(x, y)がxとyの多項式の場合で,このとき曲線Cは代数的な曲線,縮めて代数曲線と呼ばれます.代数曲線に限定して接線を引くということでしたら,ライプニッツを待たずとも,デカルトにもフェルマにも独自の工夫がありました.ではありますが,代数曲線ではない曲線,すなわちf(x, y)が多項式とはならない曲線も17世紀当時にはすでにいろいろ知られていましたので,接線法はなお改良の余地を残していたのでした.
 曲線を表示するのにひとつの方程式f(x, y)=0をあてはめるのは適切ではないことも多く,たとえばサイクロイドなどがよい例ですが,しばしば媒介変数表示
  x=φ(t), y=ψ(t)
が使われます.この場合,φ(t)とψ(t)は一個の変化量tの関数ですが,多項式や有理式,あるいはせいぜい冪根を内包する程度の代数的な式とは限らず,超越関数になることがあります.サイクロイドの場合でしたら,φ(t)とψ(t)に三角関数が入っています.超越曲線を対象とする場合には,デカルトもフェルマも代数曲線を対象とする場合のような普遍性のある接線法を持ち合わせていませんでしたが,フェルマは個別の工夫を案出してサイクロイドに接線を引くことに成功しました.ただし,それはサイクロイドに対してのみ有効な方法でした.
 一般論の視点に立てば,関数f(x, y)やφ(t)やψ(t)が代数的ではない場合とはどのような場合なのか,という問いが重い意味合いを帯びてきますが,数学の現場に目を向けて,実際に眼前に蓄積されている超越曲線を観察すると,超越関数としては三角関数,指数関数,それに対数関数の三種類を取り上げるだけで既知のすべての曲線が汲み尽くされてしまいそうでもあります.そこで,関数という言葉も避けて,変化量xとy用いて組み立てられる何らかの式f(x, y)を想定し,そのような式を用いて規定される曲線に接線を引く方法を案出すれば,ひとまず十分です.曲線の媒介変数表示の際に使われる関数φ(t),ψ(t)についても事情は同様です.
微積分の基本定理は微積分の中核に位置する定理であり,ひとことで言えば,微分と積分は互いに逆の演算であることが主張されています.関数f(x)は連続とすると,有限閉区間上でリーマン積分が可能ですから,aは関数f(x)の定義域内の定値,xは変数として,有限閉区間[a, x]上で積分関数
  F(x)=∫f(x)dx
を考えることができます.これは不定積分で象徴される積分に包摂される関数のひとつですが,微積分の基本定理によれば,この関数F(x)は微分可能であり,しかもその導関数は,はじめに提示された関数f(x)になります.すなわち,等式Fユ(x)=f(x)が成立します.この状勢を指して,「積分関数F(x)は提示された関数f(x)の原始関数である」と言い表わすのが,今日の微積分の流儀です.
 他方,微積分の基本定理は微積分の草創期からすでに認識されていたという言説も有力で,ライプニッツもニュートンもそれぞれの流儀(ライプニッツは微分計算,ニュートンは流率法)でこの基本定理を発見したというのですが,これを要するに,微分と積分は互いに他の逆演算であることを発見したという意味合いで語られているように思います.その説明は関数の言葉を使って行われることが多く,そうするとコーシーの『要論』に出ている説明と区別がつきにくい感じがあります.
 コーシー以前には存在せず,コーシーにいたってはじめて現れたのは定積分の定義であり,コーシーのねらいは,連続関数の原始関数の存在を証明することでした.しかも連続関数の範疇に留まる限り,コーシーのいう原始関数は不定積分と同じことになります.連続関数f(x)に対し,微分方程式(関数と導関数の間の方程式)
  F'(x)=f(x)
をみたす関数はたしかに存在し,その関数はf(x)の定積分を通じて構成されます(ここが微積分の基本定理です).それを一般にy=F(x)と表記すれば,yは,微分方程式(変化量と微分の間の方程式)
  dy=f(x)dx
の一般解になっています.これがコーシーの『要論』の記述の中味ですが,草創期の微積分には関数も定積分も存在しなかったのですから,はじめの微分方程式F'(x)=f(x)を書き下すことはできず,ライプニッツやベルヌーイ兄弟やオイラーの手元にあったのは後者の微分方程式dy=f(x)dxのみでした.それならどうして,彼らは微積分の基本定理を知っていたと言えるのでしょうか.非常に素朴な疑問ですが,数学や数学史の書物を見ても疑問はなかなか解消せず,ずいぶん長い間,悩まされました.
 ラグランジュは,無限小解析,すなわち今日のいわゆる微積分は「原始関数と導関数の解析学」にほかならず,微分計算と積分計算は原始関数と導関数を対象とする計算であると言っています.それなら何をもって原始関数と呼んでいるのかといえば,それは関数y=f(x)を展開するときの初項のことで,しかもその初項というのは,提示された関数そのものを指すというのです.まずはじめに与えられた関数それ自体に対し原始関数という呼称が付与されるということで,いかにも不思議な説明ですが,ラグランジュの言葉の続きを読むと,「原始関数」は「導関数」に対する言葉であることがわかります.
 関数y=f(x)において変化量xに増分Δxを加え,f(x+Δx)をテイラ−級数に展開すると,
 f(x+Δx)=f(x)+a_1Δx+a_2(Δx)^2+a_3(Δx)^3+...+a_n(Δx)^n+...
という形の式が生じます.ここで,係数a_nは関数f(x)の導関数を用いて,
  a_n=(1/n!)f^(n)(x)
と表示されます(f^(n)(x)はf(x)のn階導関数).この式を見るとラグランジュの言葉の意味がよくわかります.すなわち,導関数とは,与えられた関数から「導き出された関数」という意味であり,それらの導関数が「そこから導出されるところの元の関数」を指して原始関数と呼んでいるのであり,提示された関数が原始関数という呼称を獲得するということは,導関数を考えることと対をなしていることになります.原始関数も導関数もきわめて自然な用語法であり,何事もなく受け入れることができます.
 これに対し,コーシーの『解析教程』ではF'(x)=f(x)となる関数F(x)のことがf(x)の原始関数と呼ばれていましたが,この場合には,「提示された関数を導出する元になる関数」が原始関数であることになり,ラグランジュの用語法と比べてちょうど逆になっています.それに,一連の導関数との関連も断ち切られています.
 ラグランジュとコーシーの間に何かしら断絶があることは想定されますが,関数の概念を微積分の基礎に定めている点は共通しています.ライプニッツからオイラーにいたる時期に単に積分と呼ばれたものをコーシーは不定積分と呼び,関数概念が微積分の基礎になるのと歩調を合わせて原始関数の概念が生れました.兄弟のように見える二つの概念の橋渡しをすることを目指して,コーシーは定積分の概念を記述しました.実際に橋を架けることにも成功しましたが,その橋には「微積分の基本定理」という呼称がよく似合います.
原始関数という言葉は今日の微積分ではごく普通に使われていますが,初出は案外新しく,実際に目にした限りではラグランジュの『解析関数の理論』(1797年)が初出です.オイラーの著作や論文はたいていラテン語で書かれていて,ときどきフランス語,ごくまれにドイツ語が使われますが,原始関数に相当する言葉を見たことがありません.オイラーの先生のヨハン・ベルヌーイにもありませんし,ライプニッツにもありません.すべてを精査したわけではありませんので,断言はできませんが,「関数を対象とする微積分」の枠組が認識されていなければがんし関数の出る幕はありませんから,オイラー以前に使用例がないのは当然,想定しなければならないところです.ラグランジュの『解析関数の理論』にはモfonction primitive(フォンクシオン プリミチーブ)モという言葉が見られます.原始関数はこれに割り当てられた訳語です.
 ラグランジュの『解析関数の理論』のフルタイトルは
 『微分計算の諸原理に関する解析関数の理論』
というのですが,1797年に刊行された後,1813年に第二版が出ています.その際,ラグランジュ自身の手で大幅な増補改訂が行われました.それからまた34年後の1847年,ラグランジュはもう亡くなっていましたが,第三版が刊行されました.巻末にJ.-A.Serret(セレ)によるノートが附されました.第三版は第二版のそのままの復刻です.
 初版の序文を一読すると,微積分の根柢を思索するラグランジュの姿がありありと目に浮かびますが,それとともに,ラグランジュが原始関数という言葉で指し示そうとしたものの実体も明らかになります.しばらく『解析関数の理論』の初版の序文を読んでみたいと思います.
 はじめに関数の概念が語られます.

《一個もしくはいくつかの量の関数というのは,それらの量が任意の仕方で入っている計算式(expression de calcul)のことをいう.その式には他の諸量が混じっていてもよい.それらの諸量というのは,関数を構成する諸量が可能な限りあらゆる値を受け入れる際に,与えられた値を保持し続ける量である.したがって,関数の考察にあたり,考察を加えなければならないのは「変化する」と考えられている量のみであり,関数に混じっている定量は考慮する必要はない.》

次に,関数の概念のはじまりが回想されます.

《「関数」という言葉は初期の解析学者たちにより,一般にある同じ量の冪を表すために使われていた.その後,この言葉の意味合いは拡大され,ある量が,他の量を用いて任意の仕方で作られているとき,その量もまた関数と呼ばれるようになった.ライプニッツとベルヌーイ家の数学者たちは,この一般的な意味ではじめて関数という言葉を使った.これは今日でも一般的に採用されている.》

以上を前置きとして,続いて原始関数が登場します.

《ある関数の変化量に対し,その変化量にある不定量を加えて何らかの増大を与えるとき,もし関数が代数的であれば,代数学の通常の諸規則により,その不定量の冪に沿って関数を展開することができる.この展開の初項は提示された関数である.提示された関数のことは「原始関数」という名で呼ばれる.以下に続く諸項は同じ変化量のさまざまな関数で作られていて,その関数には不定量の相次ぐ冪が乗じられている.これらの新たな関数は原始関数に一意的に依存していて,原始関数から導かれ,「導関数」と呼ばれる.一般に,原始関数が何であっても,代数的であろうとなかろうと,原始関数は同じように展開可能であるか,もしくは展開可能とみなされて,導関数を生み出すのである.関数というものをこの視点から考察すると,関数は,その一般性と数々の用途により,通常の解析学にある意味で優越する解析学を構成する.俗に「超越的」とか「無限小」などと呼ばれている解析学は,結局のところ,原始関数と導関数の解析学にほかならない.また,微分計算と積分計算は適切に言うなら,これらの関数を対象とする計算にほかならない.この著作において,その様子を目の当たりにするであろう.》

 関数の展開というのはテイラ−展開のことなのですが,テイラ−展開を語ろうとする文脈の中で原始関数の名が語られるのはいかにもおもしろく,興味の深い場面です.
 近代数学の場において,定積分というものの概念を規定しなければならないという気運が醸成されたのは,19世紀のはじめ,フランスの数学者フーリエがフーリエ級数の理論を創始したのがきっかけになったと言われています.フーリエ級数というのは,フーリエの言う「まったく任意の関数」を三角関数を用いて表示する無限級数なのですが,問題はその係数で,定積分の形で与えられています.定積分を定義した最初の人はコーシーであり,フーリエ自身は定積分の定義のない状態でフーリエ級数を書き下し,その係数を平然と定積分を用いて表示しました.それで,この段階にいたってはじめて,「いったい積分とは何だろうか」という根源的な疑問が発生し,コーシーによる概念規定の試みを誘ったのだとは,近代数学史でしばしば語られるエピソードです.当初の曖昧模糊とした状態が次第に精密さの度を増していくという物語ですが,雲をつかむような曖昧な数学というものが,はたしてありうるのでしょうか.
 当然のことながら積分の概念はコーシー以前にもすでに存在し,もとよりフーリエも承知していましたが,「定積分」という言葉はありませんでした.オイラーの三部作のうち,『積分計算教程』を参照すると,積分というのは微分式Xdxに対して定まる概念で,その微分がXdxになる変化量y,すなわち,等式
  dy=Xdx
を満たす変化量yを指して,「微分式Xdxの積分」と呼ぶのでした.与えられた微分式Xdxにおいて,xは変化量,Xはxの関数ですが,オイラーの世界では関数もまた変化量の仲間です.変化量を微分したり積分したりする世界が開かれていて,関数というのは,与えられた変化量を素材にして新たな変化量を作り出すシステムを指しています.有限変化量x,すなわちつねに有限の値を取りながら変化する変化量xを微分すると,xの微分と呼ばれる無限小変化量,すなわち,つねに無限小の値を取りながら変化する変化量dxが手に入ります.逆に,無限小変化量Xdxが与えられたとき,微分計算を通じてXdxを生み出す特質を内包する有限変化量yを想定し,それをXdxの積分と呼ぼうというのが,オイラーのテキストに出ている積分の定義です.
 この定義の根柢に位置する等式dy=Xdxは,コーシーが『要論』ににおいて不定積分を定義しようとしたときに書き下した方程式dy=f(x)dxとそっくりです.コーシーはこの方程式を満たす関数を一般にy=∫(x)dxと書き,これを不定積分と呼ぶというのみで,「何の積分」なのかは明言していませんが,「関数とその導関数」の世界に移行したコーシーなら,「関数f(x)の不定積分」と呼ぶのが至当です.敢えてそうしなかったのは,コーシー以前の100年余の微積分の歴史に心情が引きづられていたのではないかと思います.
 オイラーの言う積分はそれ自身が変化量ですから,いろいろな値を受け入れながら変化します.そこで,積分と呼ばれる変化量yが取る個々の値を指して,「積分の確定値」ということがあり,オイラーの変分法の著作でそんな言い回しを見たことがあります.これは日常の言葉であり,数学の述語ではありませんが,コーシーはこのあたりの消息を逆転させて定積分の概念規定から出発し,その後に不定積分へと歩を進めました.「変化量とその微分の世界」から「関数とその導関数の世界」への移行に伴う措置で,コーシーにはコーシーの理由があってそうしたのですが,コーシー以前には積分は存在しなかったというのは,やはり言い過ぎで,数学の相の変遷を無視した素朴な誤解と思います.
不定積分の話が展開してルベーグ積分に及んでしまいましたが,語り始めた当初は,不定積分と原始関数という言葉の本来の意味合いを認識し,合わせて両者の関係を明らかにしたいというほどの考えでした.これらの二つの概念は微積分ではおなじみでありながら,似ているようでもあり似ていないようでもありますし,歴史的な出所も不明瞭です.ロピタルやオイラーのテキストには不定積分も原始関数もどちらも見あたりません.ラグランジュのテキストには原始関数という言葉は出ていますが,不定積分はありません.同じ一冊の書物に両方の言葉が同居するのは,おそらくコーシーの『要論』が最初ではないかと思います.
 コーシーの『要論』の第26講には「不定積分」という見出しが附されていますが,読み進めていくと,やや不思議な定義に出会います.すなわち,コーシーは方程式
  dy=f(x)dx
を満たすyが存在する場合,それを「不定積分」と呼び,
  y=∫f(x)dx
と表記するというのです.この場合,与えられているうのは微分式f(x)dx であり,不定積分という名で呼ばれるyは,「その微分dyが,与えられた微分f(x)dxに一致するような関数」のことと思いますが,コーシーはなぜかこの場面に限って関数という言葉を使わず,「微分方程式dy=f(x)dxwみたすyの一般値」と呼んでいます.微分式f(x)dxにおける関数f(x)が連続なら,不定積分y=∫f(x)dxはf(x)の原始関数になりますし,コーシーの積分論では対象が連続関数に限定されているのですから,不定積分などという用語を敢えて導入する必要はなく,原始関数のみで十分のように思われるのですが,コーシーはそうしませんでした.なぜかというと,不定積分という呼称こそ,コーシー以来の比較的新しいものですが,概念それ自体は微積分の草創期からすでに存在していました.ライプニッツやベルヌーイ兄弟やロピタルやオイラーが単に「積分」と呼んでいたものが,すなわちコーシーの不定積分にほかなりません.
 これに対し原始関数という概念は当初は存在しませんでした.オイラー以降,関数の概念が生い立って,ラグランジュにいたって微積分の対象が関数になるという状勢が現れてはじめて,原始関数というものが意味をもつようになりました.

 関数f(x)は有界閉区間[a, b]上で有界として,コーシー・リーマンの意味で積分可能とすると,既述の通り,不定積分∫f(x)dxが定まります.これは無数の関数を象徴する記号ですが,この記号のもとに包摂されるどの二つの関数を取っても,それらの差はつねにある定数になります.
 今,ひとつの不定積分φ(x)=∫f(x)dx(積分の上限は不定数x,下限は区間[a, b]内の任意の数です)を取ると,φ(x)は連続関数です.不定積分の連続性という著しい事実ですが,微分可能とは限らないことは注目に値します.また,たとえ微分可能としてもその導関数がもとの関数f(x)に一致するとは限りません.万事がこんなふうで,関数概念が大きく一般化され,積分可能性の定義もまたそれに見合って非常に一般的に規定されましたので,どのような奇妙な現象が起るのか,予断を許さない状勢になりました.ひとつひとつの概念はきれいに表明されるのですが,内実に目を向けると,印象はかえって広漠としています.はじめに与えられた関数f(x)が連続の場合に限定すれば,その不定積分の導関数はもとの関数f(x)になり(微積分の基本定理),目に映じる光景は透明になります.この場合,不定積分はどれもみな原始関数であることになり,二つの概念は合致することになります.
 不定積分ではなく関数f(x)の導関数を考えると,その導関数は積分可能とは限りません.イタリアの数学者ヴィト・ヴォルテラ(1860-1940年)が1881年にそのような関数の例を与えました.「ルベーグ積分」で名高いフランスの数学者アンリ・ルベーグは1902年の学位論文「積分・長さ・面積」の中でヴォルテラの発見を取り上げて,こう言っています.

《ジョルダン氏(註.フランスの数学者カミーユ・ジョルダン)がそうしたように,リーマンが与えた積分の定義を採用するとき,積分可能ではない導関数が存在することが知られている.したがってリーマンが定義したような積分は積分計算の基本問題,すなわち,
  その導関数を知って,関数を見つけよ
という問題に対して,あらゆる場合において解決を与えてくれるわけではない.》

 「その導関数を知って,関数を見つけよ」という問いに答えるには不定積分を作ればよいのではないか,というのがコーシーの積分論の根幹をなすアイデアでした.ところが連続関数の世界を離れると,コーシーのアイデアをさえぎろうとする奇妙な関数の例が相次いで現れます.導関数が積分可能でも,その不定積分の中に元の関数が現れるとは限らないのですが,ヴォルテラの例はそもそも積分することのできない導関数が存在しうることを示しているのですから,微積分の基本定理は問題にすらなりえません.このような状勢を前に,ルベーグは,

《もっと広い範囲で積分が微分の逆演算になるような,積分の他の定義を探すのは自然なことのように思われる.》

という方針を打ち出しました.コーシーのアイデアを広い世界で生かすには,積分の可能な関数の世界それ自体を思い切って広く取ればよいのではないかというアイデアです.これがルベーグ積分のはじまりです.

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