ガウスはゲッチンゲンでボヤイと知り合い、親しくなりました。ユークリッドの幾何学の平行線公理をめぐって語り合った模様です。ガウスがブラウンシュヴァイクにもどったのは1798年9月28日(または29日)ですが、ボヤイは1799年6月5日までゲッチンゲンに留まりました。こんな正確な日時がどうしてわかるのかというと、ガウスとボヤイは手紙のやりとりをしていたからです。書簡集も出ていて、詳しい消息が伝わってきます。
ゲッチンゲン大学時代のガウスのことはダニングトンの本にもほとんど記述があなく、ただボヤイのことのみが語られています。
数学日記の第18項目のテーマは「ニュートンの公式」です。
28.[方程式の諸根の冪和](1796年8月21日)
提示された方程式の諸根の冪を加えたものは、その方程式の係数を用いて、非常に簡単な規則により表示される。(「演習」の中に、別の幾何学的な手法が出ている。)
ゲッチンゲン、[1796年8月]21日
与えられた方程式の根をa、b、c・・・とするとき、それらの冪の和というのは
a^k+b^k+c^k+・・・
という形の量のことです。このような量は、与えられた方程式の係数を用いてたやすく表示されるというのが第28項目の内容です。これはつまり「ニュートンの公式」として知られているものにほかなりません。オイラーの『無限解析序説』にも出ていますから、ガウスは知っていたと思われますが、たぶん独自の証明を考案したのでしょう。「演習」というのはガウスの遺稿で、ガウスは「数学演習」と呼んでいました。