草田さんのお宅は和歌山県伊都郡かつらぎ町大谷にあります。岡先生の郷里は今は橋本市に編入されていますが、もとはかつらぎ町と同じ伊都郡内の紀見村という村でした。和歌山線大谷駅は無人駅です。草田家に着いて草田さんと平野さんのお二人と挨拶を交わし、それから応接間で草田さんのお話に耳を傾けました。この日は草田家のご先祖の話が多かったのですが、かつて草田家は造り酒屋でした。先祖に草田徳兵衛と亦十郎という兄弟がいて、徳兵衛が兄、亦十郎が弟ですが、弟の亦十郎は大谷の隣の妙寺に移って酒屋を始めました。郵便局も経営したということですが、これは「特定郵便局」のことでしょうか。亦十郎は草田さんの奥さんの祖父にあたる人でもあります。
草田家は土地の旧家で、勢力がありました。紀見村の岡家とよく似ています。
明治21年9月のことですが、「治安裁判所事件」とも「伊都郡紛擾事件」とも言われる事件がありました。治安裁判所出張所を設置する場所をめぐって起った事件なのですが、当時の伊都郡の中心地は妙寺地区で、郡役所も妙寺にありましたので、治安裁判所出張所もまた当然のように妙寺に誘致されるものと地元の人たちは思っていたところ、郡長は橋本村に設置したい意向のようだといううわさが広がりました。それで群衆が大挙して郡役所に押し掛けて、郡長と談判するという騒ぎになったのですが、興奮のあまり暴徒化し、瓦礫を投げ込んだり竹槍を投げつけたりしました。これを押さえるために警官隊が出動し、抜刀して追い払うというふうで、たいへんな騒ぎになりました。警官隊は日本刀を抜いて威嚇したと伝えられています。
この事件の群衆側の指導者が草田亦十郎だったのですが、郡役所で談判を受けた郡長というのが、岡先生の祖父の岡文一郎でした。草田さんと岡先生は草田家と岡家の孫の代にあたります。
結局、岡郡長の意向が通り、治安裁判所出張所は橋本村に設置されました。それから郡役所も橋本村に移ったのですが、これも岡郡長の意向でした。それから後は橋本地区が伊都郡の中心地になりましたから、橋本地区から見ると岡文一郎の功績は非常に大きく、これをたたえて旌徳碑が建てられました。今も橋本市内の丸山公園の花見台にあり、ぼくも見物しました。
反面、妙寺の側から見るとたいへんな屈辱で、地元の人々の指導者は草田亦十郎ともうひとり、稲本保之輔という人がいたのですが、騒擾事件の後、割腹して自決しました。38歳でした。自決の碑は明治21年11月14日。一年後の明治22年11月14日、有志の手で顕彰碑が建立されました。
岡文一郎の旌徳碑と稲本保之輔の顕彰碑は今もあります。意味合いを知る人は少ないかもしれませんが、二つの碑はただの石ではなく、見る者の心に確かに何事かが伝わってきます。何事かというのはつまり「歴史」のことで、伝わってくるのは歴史の出来事の実在感ということになるのでしょうか。石の碑というのはおそろしいものです。