大学の諸問題
大学で数学を学ぼうと志したほどの人が数学を嫌いなはずはなく、数学のどこかに魅力を感じていたに違いありませんが、大学に入学後、急速に数学から心が離れていく学生は少なくありません。講義に出てこなくなり、卒業にいたらずに姿の見えなくなる学生も非常に多く、大学側の悩みの種になっています。これは学部の学生の問題ですが、もうひとつ、大学院もまた志願者が極端に少ないという大きな問題を抱えています。大学院を修了しても、その後の進路が漠然として確信がもてないためという理由がしばしば耳に入りますが、当たっているところも確かにあります。
それでも大学院の前期課程はようやく定員が満たされる程度の志願者がありますが、後期課程となると、志願者の総数は大きく定員を割り、その結果、ほとんど無試験入学のようになっているのが現状です。入学者を確保するための工夫はいろいろ試みられていて、たとえば、修了後の就職状況の改善をねらって、産学共同を強力に押し進めることなどはしばしば見受けられるところです。
大学院の定員確保の問題は学問とは関係がありませんのでしばらく措き、数学から離れていく大学生が非常に多いのはなぜか、という問題を考えてみたいと思います。10年前、あるいはもっと以前から目立ち始めた現象ですが、大学で行われる数学の講義は年々易しくなり、年を追うほどに相次いで安直な教科書が出版されるようになってきました。数学のテキストであるにもかかわらず、詳しい証明を記述しないのはすっかり普通のことになり、代わって主流になりつつあるのはやさしい例題とその解法を中心に据える流儀です。すなわち、受験時代と同じ勉強法を大学でも取り入れようとする手法です。
今日の微積分の記述では、極限や連続性などの概念規定にイプシロン-デルタ方式が不可欠ということになっているのですが、教えても歩留りが悪く、効果が上がらないというので、まったく無視するか、あるいはそのようなものもあると軽く触れる程度に留める傾向がほぼ定着しています。これはこれでやむをえない事情があってのことではありますが、このような数学には「数学の魅力」は失われていますから、数学はつまらない、という印象が強まるばかりです。これが、学生が数学から離れていく本当の理由と思います。
Math for teacher’s educationの提案
大学で教わる数学には興味がもてないとしても、数学という学問から感受される神秘感が消失しなければ、本来の数学を求め続けようとする意志は生き続けます。数学の神秘感を保持し続けるにはどうすればよいのかといえば、受験問題の解き方そのものの中に、この問題を考えるヒントが宿っています。もう少し具体的にいうと、再現が不可能な解法を断然放棄して、ひとつひとつの問題の背景に広がる世界や根柢に横たわる土壌の姿を踏まえて解くようにしてほしい。高校生がはじめからそんなふうに解くのは困難ですから、高校の授業でそんなふうに教えてほしい。そのためには大学院を高校の先生たちに向けて開放してほしいと思いますし、先生たちも再び大学にもどって積極的に学んでほしい。おおよそこのような話をしました。
今年から教員免許更新制が実施されることになり、35歳、45歳、55歳の教員は各地の大学で開かれる講習会に参加して、30時間の講習を受けなければならないことになりました。30時間程度の講習を受けてもいたずらにくたびれるばかりで意味はありませんし、そんなことをするよりも大学院に籍を置き、2年(前期課程)とか3年(後期課程)にわたって学び、論文を提出して学位を取得して現場にもどり、教育の現場に生かしてほしいと思います。
熊本ではこんな話をして、高校の数学教育に寄せる大きな期待を表明してきました。「中高一貫」ならぬ「高大一貫」も重要な課題です。微積分のテキストなども、安直な例題集ではなく、数学の流れを踏まえて、生成過程が生き生きと伝わってくるようなものを書かなければならないと、このごろしきりに思います。